タイ ボランティアスタディツアー報告書


 私たちはこの夏、タイにおいて普段の日本での日常生活からは考えもつかないような様々な出会い、別 れ、感動を体験し、本当に多くを学ぶことが出来た。 タイに到着し一日目、カンチャナブリ県のプラティープ財団「生き直しの学校」を訪れた。
  そこでは約三十人の子ども達が生活しており、日本の子どもと変わらない純粋で無邪気な笑顔で迎えてくれた。しかし、彼、彼女達には両親からの虐待や、麻薬、売春の被害等を受け、苦しんだ悲しい過去がある。その事実を知ってから純粋な笑顔はどこか悲しみと寂しさを帯びており、多くの悲しみを目の当たりにしたその黒い瞳も、私たちとはちがい何か「愛」に飢えているように見えてしまった。
  カンチャナブリの「生き直しの学校」では、寄贈したパパイヤの苗木の植林作業を子ども達と共同で行なった。夜には様々な文化交流等の、歌や踊りの遊び、意見交換を行ない、楽しく、とても有意義な時間を過ごした。それは同じ世界でありながら違う世界で生きる私たちと彼らの心が一つになれた瞬間でもあった。 しかし、夜になるにつれて子ども達に変化が現れた。夜になると子ども達は私たちに体を密着させ、私たちを親に見立てて、両親のいない寂しさをぶつけてきていたようだった。
  それまでの子ども達は悲しみを無理やり隠そうとしていたのか、元気で無邪気な笑顔を振りまいて、それに私たちは見事に騙されていた。やはり子ども達は夜の寂しさには勝てなかったようだ。そんな子ども達が健気に見えてとても切なかった。
  次の日、子ども達の職業訓練に加わり、最後の意見交換会を行った。そこで「私たちは生きる場所を選べない、だからこそお互いが助け合っていかなければならない」という事を強く感じた。 その日の夜、カンチャナブリを後にした私たちは、バンコク一の歓楽街、日本で言えば歌舞伎町となる、パッポン・タニヤ通 りを散策した。
  そこはまるで日本人の作った、日本人のための街だった。通りには日本語で書かれた看板が並び、十代と思われる本当に多くの女性たちが店の前で客引きをする姿が見られた。
  私たちは、タニア通りを歩く三人の日本人の中年男性に「ここなかなかいい所でしょ。」と言われたのをまだ鮮明に覚えている。タイの恵まれない人たちのために、精一杯力を注いでいる人達がいる反面 、客のワースト・スリーに入っているという情けない日本人がいるということに、憤りと悲しみを覚えた。 私たちがここを訪れた理由は、ここにいるほとんどの十代の女性たちも、貧しい地域に生まれ育ち、生活のために売られてしまったという恵まれない子ども達だからである。「生き直しの学校」の子ども達の中にも、売られる寸前だったところを保護されたという子もいた。もし保護されていなかったら、あの子ども達もこの売春婦の列に並んでいたのかもしれない。
  この私たちの日常からは考えられない現実を頭の中で整理するのにかなり戸惑った。まるで、笑えない映画を見ているようだった。 3日目、私たちはバンコク最大のスラム街、クロントイ・スラムを訪れた。そこにはプラティープ財団の本部がある。
  そのほかにも保育園や難聴児施設、高齢者施設などが設置されてあり、スラムの人達を援助している。 スラム街の中に入ると、ベニヤやトタンで出来た家、家の間の狭い道や排水の匂い、仕事をしない大人がたむろするといった想像したままの所だった。また、スラムの子ども達はカンチヤナブリの子どもに比べて、少しとっつき難く、始めのうちは私たちになかなか心を開いてはくれなかった。それは、まるでこの年代にして人の冷たさや寂しさを全て知ってしまっていたかのようだった。
  スラムの劣悪な環境での生活が子ども達をこんなにも変えてしまったのだろうか?スラムの問題はタイの多くの問題の中で、その根本になっているような気がした。  
  私たちは、まず難聴児施設や保育園を訪問した。共に給食を食べたり、音楽や踊り、ゲームをしたりするうちに、子ども達の表情は柔らかくなっていった。その後、難聴児施設に行った時、子ども達にギターを弾いてとせがまれた。始め耳のあまり聞こえない子どもが何故ギターを聴きたいのか理解できなかった。しかし、私がギターを弾きだすと子ども達は私の周りに集まってきて、ギターのボディを触り始めた。「振動を楽しんでいる」それに気付いた時には、既に子ども達は本当に純粋で無邪気な笑顔で「音」を楽しんでいた。これは思いもしなかった事だった。そして、伝わった形は違えども、伝えようとした気持ちが実った事に深い満足感を覚えた。ここで、私は物事の見方は一つではなく何通 りもあるという事、そして、行動の原点である気持ち、思いの大切さを子ども達に教わった気がした。  
  四日目、五日目とアユタヤ等の観光を終え、最終日の六日目、タマサート大学を訪問し、日本語学科の生徒たちと交流した。そこの人たちは、まるで日本人かのように、いや、それ以上に日本語を上手に話しをしていた。私たちが普段日常で話している日本語が通 じず、いかに私たちが普段めちゃくちゃな日本語を使っているか思い知らされた。タマサート大学の食堂で昼食をとっている時、そこから見える学内の工事現場で、ボロボロの服を着て働いている十代の女の子がいた。おそらくスラムから来たのだろう。その横を生徒が談笑しながら見向きもせず通 り過ぎる。タイではよくあるごく普通の光景なのかもしれないが、日本人の私にはそれがとても悲しく思えた。
  日本語学科の学生の言うところによると、「スラムは汚い所で、危ない所だから絶対近づいてはいけない。」ということらしい。同じタイの国に住んでいてもこんな貧富の差が生じていることに驚いた。 タイの貧困家庭では、きつい労働と日々の生活費用の捻出に精一杯で、精神的なゆとりがなく、またそのために夫婦が仲たがいしてしまう。それにより、子どもの養育が至らなくなるなどの生活の問題が生じ、ストレスから子どもを虐待したり、仕事を求め転々とする。このような生活が子どもの教育環境に悪影響をもたらすのではないだろうか・・・。  
  私たちは普段の生活を何不自由な暮らしている。しかし、自然を大切にする心を忘れかけている。人間らしい生き方を忘れかけている。日本本来の生きるべき姿を私はタイで見たような気がする。人は独りでは生きていけない。誰かと関わって折り合って生きるしかない。愛し合い、お互い尊敬しする・・・そういう心を大半の人間が失いつつあるのではないだろうか。  
  このように私たちは、このツアーで様々なことを学び、大きな感動を得て帰ってきた。しかし、こうした体験ができるのは、私たちがたまたま経済的に恵まれた環境にあるからに過ぎない。スラムの子ども達は日本に行こうと思っても、できないのである。今回の貴重な体験やそこで得た感動は確かに素晴らしいものであったかもしれない。しかし、それを単なる感動や思い出に終わらせてしまうのなら、それは経済的に豊かな側の一方的な「体験の搾取」になってしまうだろう。
  だから、この旅で学ばせていただいたことを、何らかの形で返していく義務が私たち参加者にはあるのではないだろうか。何をするかは個々に違うだろうが、自身を見つめなおし、私達に何ができ、何をすべきなのかを考え、具体的に行動していきたいと思う。

<スラムの発生>
タイのスラムは、近年の急激な国の近代化、工業化政策のひずみによって生じてしまったと言えるだろう。国の近代化により安価な労働力を大量 に必要としていたバンコクは、生活の糧を求める貧しい農村部の農民達や、都会の生活に憧れる若者を、住宅問題対策を考えることもなく大量 に受け入れてしまった。その結果、バンコクには一八〇〇ものスラムが形成され、二〇〇万人もの人がその集落に住むことになったのである。

<スラムの問題>    
◇法的問題 空き地にスラムを形成した人々の住民登録は困難であり、また借地権の期限切れなど住民の法的立場は不安定である。
◇環境・居住問題 ベニヤやトタンの古材で造った狭い家が多く、上下水道設備も悪く、生活環境は生活廃水で汚染されている。
◇立ち退き問題 クロントイ場合は、政府の中央港拡張計画による立ち退き要求が多く深刻な問題を生んでいる。  
◇社会的問題 親の麻薬中毒や犯罪が家庭を崩壊させ、行き場を失った子ども達が再び麻薬や犯罪に染まっていく。 
◇教育問題 家庭の事情で中途退学する子供もおり、保護者が教育の必要性への理解に欠けがちである。 ◇経済的問題 不当な低賃金や不利な労働条件で苦しみ、盗みなどの犯罪をもたらす原因となっている。 ◇健康問題 高額な医療費を自己負担しなければならない住民は、薬局の薬で済まし、用途や副作用の誤解などから悪循環となっている。

<プラティープ財団>
プラティープ・ウソンタム・秦さんは、1952年にクロントイ地区のスラムに生まれ、 六歳から路上で物売りをして働き始めた。彼女は「教育こそが生活を大きくかえる原動力になりうる」と確信し、姉のプラコーン氏と共に、1968年スラムの子ども達が少しでも創造的な時間を過ごせるようにと自宅の一室に「一日一バーツ学校」(日本でいう寺子屋)を開設した。彼女の活動は、子供達の姿を通 してスラムの抱える社会問題を浮き彫りにし、皆が協力して解決する問題の一つとして人々に意識させるきっかけとなった。1978年にはこの活動が認められ、アジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞し、この賞金二万ドルを投じ、教育をその柱としてスラムの人々の生活改善を目指すドゥアン・プラティープ財団を設立した。

<活動内容>       
◇教育 教育里親制度、幼稚園、難聴児施設
◇健康 給食プログラム、エイズプロジェクト  
◇社会福祉 高齢者・障害者プロジェクト、生活共同組合 
◇人材育成 ニューライフプロジェクト(生き直しの学校)、芸術プロジェクト  
◇人命、財産の防止対策 クロントイ消防隊

<山梨プラティープの会>  
私たちは、タイで貧しい地域の子ども達の教育支援をしているドゥアン・プラティープ財団の活動に共鳴し、日本からボランティアや寄付などの形で支援するため、今年四月に発足した団体です。  タイには、観光地としての華やかな面とともに、貧富に大きな格差があり、社会的、経済的要因から多くの問題が顕在しています。麻薬中毒、児童虐待、児童売買春、エイズ・・・。  これらにより大人が苦しみ、多くの子ども達が苦しみの中にいます。特に児童買春の多くが日本人であることは、私たち日本人が大いに考えていかなければならない問題ではないでしょうか。

問い合わせ先  山梨プラティープの会事務局
担当   磯部 幸久
E-mail isobe-y@f2.dion.ne.jp           
<タイ・ボランティアスタディーツアー> 

報告書                                            山梨学院大学 法学部法学科三年 市川 貴康  
山梨学院短期大学 保育科 一年 剣持 安里



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