山梨学院広報室
山梨県立博物館で「木喰展」開催中
〜山梨学院小の子供たちが「木喰さん」を体験学習〜

山梨学院大学附属小学校(田中智志校長)は4月9日、笛吹市の山梨県立博物館で始まった特別企画展「木喰展」(4/5〜5/6)で体験学習を行った。4年生56人が地域を知る学習の一環として実施したもので、子供たちは木喰仏の不思議な微笑に目を見張った。木喰行道は甲斐国丸畑(現在の身延町丸畑)の出身、45歳ごろから諸国を巡り、60歳から仏像を彫り始め、93歳で亡くなるまでに“微笑仏”と呼ばれる独特の仏像を1000以上も彫ったといわれる江戸時代の木食僧。生涯に名前を三度変えており、企画展は名前の変化に沿って仏像が展示されているので、微笑の変化を辿ることもできる構成になっている。子供たちは事前に学校で木喰さんの生涯を勉強して校外学習に臨んだ。見学した子供たちは「思っていたより大きい」「一人でこんなにたくさん作ったとは信じられない」と瞳を輝かせていた。


▲ 引率した鈴木崇教諭は「郷里に対する愛着と理解を深めるのが目的の授業、木喰展の観覧を通じて、人物の業績や仏像に宿る木喰さんの思い、そして、木喰さんを育んだ山梨の自然や風土を学んでほしい」と語り、「微笑仏を通して、微笑みの大切さ、人との付き合い方、人格形成に役立ててほしい」と話した。見学を終えた4年生の児童は「怒っているような仏像もなんとなく笑っているよう見えて不思議だった」と持参したノートに感想を記していた。
▲ 木喰仏の存在が知られるようになったのは大正時代の民芸運動家柳宗悦氏が、甲府市の民家で偶然目にした仏像に魅了されて研究を始めたのがきっかけ。木喰行道の仏像はその名をとって「木喰仏」と言われるが、微笑をたたえた親しみやすい表情から「微笑仏」とも呼ばれる。子供たちの説明に当たった県立博物館企画交流課の平山智英教育主事は「子供たちが思っていた以上に良く勉強して来て、自分が興味を抱いた仏像を探したり、どの像が何歳ぐらいに作られたのか調べる姿に驚きました」と語っていた。山梨県立博物館では「全国各地に散在している木喰仏が一堂に集まる機会は今回が最初で最後かもしれないので、山梨で生まれた木喰の人となりをより多くの県民に知っていただきたい、小学生の子供たちには、木喰さんという不思議な人が山梨にいたこと、その微笑みが何を語っているのか、感受性豊かに受け止めてほしい」と来場を呼び掛けている。
(M.I)
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