山梨学院パブリシティセンター
第84回日本選手権水泳競技大会 競泳競技
兼第29回オリンピック競技大会代表選手選考会(第2日目)
〜加藤(山学)北京五輪日本代表に内定 女子100mバタ〜

日本水泳連盟(林利博会長)は4月16日、東京辰巳国際水泳場において第84回日本選手権水泳競技大会競泳競技兼第29回オリンピック競技大会代表選手選考会を開催した。第2日目は200mの男女の自由形予選・準決勝、100mの女子背泳ぎ予選・準決勝と男子決勝、女子平泳ぎの予選・準決勝と男子 決勝、女子バタフライ決勝が行われた。女子100mバタフライ決勝で五輪初出場を目指す山梨学院注目の加藤ゆか(4年)は、中西悠子と同じ0秒72のスタートで、土肥亜也子の0秒71に次ぐスタートとなった。しかし、持ち前の力で、昨日に日本記録58秒59をマークした土肥を抜き去り、50mを27秒10のトップで 折り返した。続いて土肥が27秒40、中西が27秒73で続く。加藤はゴール5m手前で速度が落ちた。後から中西が驚異的な追い上げで加藤をかわして58秒52の日本新記録でゴールイン。加藤は土肥を振り切り58秒55の日本新記録でゴールインし、標準記録をクリアーし中西とともに北京五輪の日本代表選手に内定した。松下絵里奈(1年)は1分00秒47で5位となった。なお、女子100m平泳ぎ準決勝に進出し、2組に出場した久保田春奈(4年)は15位で決勝進出はならなった。


■女子100mバタフライ決勝
▲山梨学院注目の加藤ゆか(4年)は準決勝3位で3コース、後輩の5位で通過した松下絵里奈(1年)2コースとともに出場した。加藤は「緊張していた」と、中西悠子と同じ0秒72のスタートで、土肥亜也子の0秒71に次ぐスタートとなった。しかし、持ち前の力で、昨日に日本記録58秒59をマークした土肥亜也子抜き去り、50mを27秒10のトップで折り返した。続いて土肥が27秒40、中西が27秒73で続く。加藤はゴール5m手前で速度が落ちた。後から中西が驚異的な追い上げで加藤をかわして58秒52の日本新記録でゴールイン。加藤は土肥を振り切り58秒55の日本新記録でゴールインし、標準記録をクリアし中西とともに北京オリンピック日本代表選手に内定した。松下は1分00秒47で5位となった。

■加藤ゆかは(4年)は「この日のためにやってきたので、2番だったけど自己ベストを上回り標準記録をクリアーできたので嬉しい。仲間とコーチを信じて、やることはやってきた。そして、その自分を信じて泳いだ。応援してくれた仲間、関係者、全ての皆さんにお礼を言いたい。北京では4年生最後のレースとなるので、今まで出したことのない力を出したい」と答えると、仲間を見るなり感極まって抱き合い涙ぐんでいた。
■これで五輪3大会の代表選手を育てた神田忠彦監督は「スプリンターなので、3本は疲労がたまる。国内では決勝に勝てなければいけないので、1本目は前半抑えて後半行かせ、2本目は前半行かせ後半抑えた。標準記録を出していなかったので正直不安はあったが、代表になれる自信はあった。ただラスト5mで、あれほど遅くなるとは思わなかった。ドキドキして固唾を飲んだ。アジア記録を目指してとどかなかったが、代表にきまってほっとしている。一番気を使ったのは体調管理。インフルエンザ、ノロウイルスなど。インターハイ4位の選手が、努力して良いところを伸ばして五輪代表になった。嬉しいの、一言」と、満面笑みで語った。


■加藤ゆか「母の眼差し」
●母親の加藤由美子さん(51歳)
▲「ゆかは生後6か月で水泳を始めました。正確には、私がマタニティー水泳をしていたので、お腹にいる時からかしら」(笑)。「一人でスイミングクラブに行ったのは2歳の時です。選手コースは小学校2年生でした。(精神的に)ぎりぎりだと思った時に『やめたかったら、やめてもいいよ』 と親に言われると、それで気持ちが吹っ切れるようで『やめたくない』」と、踏ん張れる子だった。今でも「芯はかなりしっかりした子」だという。加藤は「中学2年生頃からタイムが伸びもしないし、落ちもしない」硬直状態が続いた。そんなときでも、「腐って練習に行かないということはなかった」と、常に水泳と向き合っていた。
▲そんな折の高2、「大会の帰りに『愛知で1つ先輩の長谷川幸美選手の入学している山梨の練習を見て帰りたい』と言い出し、山梨学院大学の水泳部に出向いた」という。「神田コーチ(監督)と熱く語り合っていました。卒業の1年前に進学を決めました」という。神田監督から「『お母さん、オリンピックを狙いましょうね』」といわれ驚いたという。当時の記録は1分01秒。「本人も、親もオリンピックへの執着などなかったからです。ただ楽しんで泳げればいいと思っていましたから」。それが神田監督との出会いで、山梨に来てから一皮むけた。ヨーロッパ遠征や各種国際大会のメンバーに選ばれ「中村真衣さん(シドニーオリンピック女子100m背泳ぎ銀メダリスト、)と同室になり様々なことを教えてもらい、気持ちの面でも成長したと思います。今でも尊敬して慕っています」。兎にも角にも、「大学2年生のインカレで優勝したあたりから、本人の口から『北京』という言葉が出るようになって、本気モードになりました」という。神田監督の指導で加藤の心の中に北京という具体的な目標が掲げられた瞬間だった。
▲ゆかは「1週間前から寝つきが悪くなり、『普通にやればいいよね』と呟きました。ちょっと考えているかな」と、見えないプレッシャーが襲う。昨日の予選(1本目)、加藤の持ち味は前半から飛ばして後半粘る泳ぎ「前半スピードに乗らないので、ドキドキしました」いつもと違う泳ぎ、不安になった。しかし 、「ターンしてスピードを上げたので、これはコーチの作戦だと思い安心しました」。準決勝は打って変わって「前半飛ばして後半ようすを見る作戦」。もう動じることはなかった。神田コーチから『準決勝で1コースに残ってもうろたえないでください』という言葉を思い出したのです。ゆかは神田コーチの指示どおりに泳いでいるのだ」と確信した。
▲今日の朝「『泣いても笑ってもあと1本だね』」と、声をかけたという。「北京行きが決まったら選手ゲートで待っててね」と約束したという。「ゆかはオリンピックを意識してから1日たりとも無駄な時間は過ごさない。神田コーチの指導でやってきたので大丈夫」と、力を込めた。決勝は「長谷川幸美さんの家族らと一緒に、主人と精一杯の応援をしたい」と会場へと消えた。母と父の姿が選手ゲートにあった。「本当に夢のよう。神田コーチとの出会いがゆかの運命を変えましたね。自己ベスト58秒78を超えたと思います。良くやったと、褒めてあげたいです。北京には絶対応援に行きます」と声を弾ませて答えた。ドーピング検査でなかなか出てこない愛娘に微かな不安を抱いたその時選手ゲートに笑顔の娘の姿を見つけて「『良かったねと』」抱き合い喜びを分かち合った。「全国、海外と遠征に応援旅行で歩いているが、プールとホテルだけで名勝とかの観光旅行はない」という、こうした母の愛が加藤を支えた原動力の源になっているのだと感じた。(H.K)
加藤ゆか選手
1986年10月30日生まれ。158cm、 52kg。父親、大八。母親、由美子。毎日、母親とメールを交わす。好きな食べ物は、イチゴ。気分を変える楽しみにオシャレをする乙女。縁起も担ぐ現代っ子。山梨学院大学4年生。
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