山梨学院パブリシティセンター
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北京オリンピック開幕まであと17日
~「さくらJAPAN」のエース千葉香織選手母校を訪問~
~目標は1試合1得点、メダルと得点王を目指す~
8月8日に開幕する北京五輪女子ホッケー日本代表「さくらJAPAN」のセンターフォワード“157cmの小さなエース”千葉香織選手(2003年卒・ソニー一宮)が7月22日、母校の山梨学院大を表敬訪問し古屋忠彦学長に五輪での活躍を誓った。千葉選手は4年前のアテネ五輪に続く2回目のオリンピック出場、同様に審判員として二期連続出場する先輩の相馬知恵子さん(1998年卒・山梨県スポーツアカデミー)と共に学長室を訪問、秘書から金メダル色の包装紙に包まれた白百合の花束が贈られた。古屋忠彦学長は「牛若丸のような素早いプレーをすると聞いている、小さなからだでよく世界ランクの選手になれたね、嬉しい限り、エースストライカーはプレッシャーだろうが、あとは気合、プレッシャーを楽しむくらいの気持ちで頑張るように」と激励した。千葉香織選手は「今回は2回目のオリンピック、前回は不満の残る大会でした。今回はこの4年間の経験を生かしチームの中心として全力でプレーしメダルと得点王を目指します、1試合1得点が目標です」と闘志を胸に秘めたしっかりした口調で語った。千葉選手はこの日、山梨県庁と南アルプス市も表敬訪問し故郷山梨の人達に出発の挨拶をして激励を受けた。
胸に五輪マークが刺繍された日本代表チームのスーツで母校を訪れた“日本の小さなエース”
千葉香織選手
は南アルプス市白根東小5年の時にホッケーと出会った。白根巨摩中、巨摩高、山梨学院大でプレーし現在は社会人NO1チームのソニー一宮に所属する日本NO1のストライカー。そのホッケー人生は必ずしも恵まれたものではなかった。南アルプス市役所の杤原伸幸氏は「高校時代は大した選手ではなかった。大学で寺本監督に育てて頂いて強くなった」と語る。頭角を現してアテネ五輪候補になった卒業直前の2003年1月の全日本合宿で膝の前十字靱帯を断裂、1年間のブランク、引退の危機から懸命に復帰しアテネ五輪予選メンバーに入ったものの控え扱い。五輪後、悔しさをばねに黙々と走りこみ06年のドーハアジア大会でゴール前の俊敏さを買われレギュラーを獲得、12ゴールをあげて得点王に輝きチームの銀メダルと北京五輪出場切符奪取の原動力となった。世界は日本の小さなエースをこの年の世界ベストイレブンに選んだ。しかし、千葉自身は大柄な外国人選手との当たり負けに苦悩、「世界最高峰のオランダリーグで鍛えたい」とジョン・シアン女子監督に相談、シアン監督の計らいでロッテルダムチームへのワンシーズンレンタル移籍が実現、異境で言葉に悩みながら、大柄な選手の懐に飛び込んで動く技を会得。小さな体を欠点ではなく逆に利点に変えた技術とパワーを身につけて帰国した。恩師の
寺本祐治男子監督
は「今回のオリンピックは団子状態、最初のスタートダッシュが大切で初戦のニュージーランド戦と第二戦のアメリカ戦でポンポンと2勝すると準決勝進出が見えてメダルが期待できる。日本チームの特徴はディフェンシブにゲームを進めていって、少ないチャンスに千葉が決める戦術、世界が判っているので千葉のマークは非常にきついと思う、なんとか頑張ってほしい」と日本のエースに成長した教え子の立場を思いやりながら出発を見送った。千葉選手はホッケー部の後輩たちに対して「自分たちの時にはできなかった大学王座で優勝した後輩たちの頑張りは尊敬するし、とても刺激になっている。これからもお互い刺激し合って頑張っていきましょう」と後輩にはエールを送った。日本女子ホッケーチームは8月4日まで天理市で合宿を行い、8月6日に北京入りする。
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