
北京オリンピック男子マラソンに出場した尾方 剛選手(1996年卒、中国電力)が9月20日、母校に上田誠仁監督を訪ね「応援ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝え、3大駅伝に向けて練習に励む後輩たちを激励した。五輪最終日の8月24日に行われた男子マラソンは、スタート時は涼しくゴール時には気温が30度を超える温度差の激しいレースとなった。尾方選手は序盤からの5kmラップ14分台、かつ優勝タイム2時間6分台というハイペースについてゆけず、中盤では一時33位に落ちたが粘りの走りで順位を上げ、最後は13位でゴールした(佐藤選手は76位、大崎選手は欠場)。「五輪では、先頭集団で走ることも優勝争いに絡むことも全く出来なかったので達成感も何もない、ただ情けないというか悔しいという思いしかありません」と話し、「4年後もやるつもりでいます、その間に世界選手権が2度あり、国内外の主要な大会がある、北京の悔しさをばねにハイスピードマラソンについていける体を作ります」と語った。
芳子夫人と2人のお子さんを伴って久し振りに母校に帰って来た尾方 剛選手は、キャンパス内の変容に「ずいぶん変わったな」と驚き、上田監督の案内で広報スタジオを訪れてカレッジスポーツ栄光の歴史コーナーを見学、箱根駅伝で使われたプルシアンプルーのユニホームや総合優勝した当時の懐かしい写真に目を細めた。
尾方選手は広島県安芸郡熊野町出身の35歳、熊野高から山梨学院大に進み、大学2年の箱根駅伝10区で区間賞を獲得、山学大2度目の総合優勝に貢献し栄光のゴールテープを切った。卒業後中国電力に入社、低迷した時期もあったが2004年福岡国際マラソンで2時間9分10秒の好記録でマラソン初優勝(自己最高は前年の福岡国際で出した2時間8分37秒)。2005年世界陸上銅メダル、2007年世界陸上日本人トップなどが評価され、山学大3年後輩の大崎悟史選手(NTT西日本)、中国電力の同僚佐藤敦之選手と共に北京五輪日本代表に選ばれた。
上田誠仁監督は「過酷なレースの中で自分を見失わずに後半順位をあげた、尾方ならではの粘りの走りだった。自分の位置関係をもう少し把握していれば入賞ラインに届いたのではないか。北京オリンピックをきっかけに序盤から14分台で走るハイスピードマラソンが世界の主流になるであろう、これから先はそれへの対応が課題になってくると思う。オリンピックまでは家族サービスなど全く出来なかったのだから、第2の故郷で家族と共に疲れを癒してもらいたいと」語った。尾方選手は後輩たちに対して「積極的に勇気を持って走るように」とアドバイス、10月の出雲駅伝・11月の全日本大学駅伝・正月の箱根駅伝に挑む現役達を励ました。尾方選手は2泊3日の予定で山梨に滞在して英気を養った後、10月からニューイヤー駅伝に向けたチーム練習とマラソンのトレーニングを再開させる事にしている。
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