
東芝元会長で東京証券取引所グループ会長の西室泰三氏が10月31日、樹徳祭でにぎわう大学キャンパス内メモリアルホールで講演を行った。この講演会は現代ビジネス学部と経営情報学部が山梨出身の優れた経済人である西室氏を生涯学習センターと共に招き“ふるさとやまなし講演会”として開催された。西室氏は「グローバル化する日本の将来を担う若者への期待」と題して講演を行い、学生に向けて「一つの仕事をしっかり身に付けることが大切。そして、違う言語を話す人と話し、自分をグローバル化させて自身の価値を高める努力をしてほしい」とよく通るバリトンでソフトに語りかけた。会場には約300人の学生が訪れ、東芝に入社した直後に難病を患い、絶望の淵から努力を重ね、米国で培った知識と経験を基に卓越した先見性で、東芝を世界企業に育てた山梨県人会連合会副会長が紡ぎだす言葉を、静かにその胸に受け止めていた。
西室泰三氏は都留市出身で現在73歳。実家は郡内織物の染色業、一女三男の末っ子として育った。父が教育熱心で、小学校に上がる前から毎朝論語の素読をさせられたという。中二の時に名門武蔵中学に編入し武蔵高校から2浪して慶応大経済学部に入学、1961年に東芝に入社した。高校時代はバスケットボールの選手として活躍し、大学時代は学生闘争最盛期の慶応学生自治会委員長として学生保険制度の導入に漕ぎつけた経歴を持つ。講演の中で西室氏は、学生運動時代に経験した交渉が、自分の折衝力の原点になったと語った。東芝に入社した直後の二十五歳の時に急に足をひきずるようになり、原因がわからないまま症状は悪化した。激しい神経痛の正体は米国での診断で、脊椎の周りにキスト(嚢腫)が発生する奇病だと判った。三十一歳のとき、米国で手術を受けキストを取り除くことに成功したが、下肢に不自由さが残った。秀才から浪人へ、スポーツマンから病床へ。若い時に挫折を何度も味わった経験からか、西室氏は人生を飄々と歩んでいるようにみえるが、健康管理に人一倍気を使い73歳とは思えない体力を維持している。前週はIBM総会で渡米し、講演会の翌日は再び渡米する多忙な日程を飄々とこなしている。
ふるさとやまなし講演で西室氏は、自分の学生時代、東芝時代と世界経済の動向を重ね合わせて話し、これから社会に出て行く日本人の学生たちに向けて「日本の国際競争力は確かに落ちているが、極めて知的レベルの高い国を作っている。日本という国は決して魅力のない国ではない。一つの仕事をしっかり身に付けることが大切。そして、英語や中国語など違う言語を話す人と話し合い、自分をグローバル化させて自身の価値を高める努力をしてほしい」と語りかけ、アジアからの留学生に向けて「将来、祖国と日本の架け橋になってもらいたい」と穏やかに語りかけた。聴講者の一人山学大OBの
赤池哲也さんは「日本の大学院への進学を目指していますが、お話を伺い、グローバルな視野を持つために海外の大学院への留学も真剣に検討して見ようと思います」と語った。 (M.I)
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