
第88回全国高校サッカー選手権大会は1月11日、東京・国立競技場で決勝戦を行い、山梨学院高校が青森山田高校を1−0で下し参加3763校の頂点に立った。初出場校の優勝は昭和61年の東海大一(静岡・現東海大翔洋)以来の快挙。山梨県勢は過去に韮崎高が5度決勝に進出したが敗退、6度目の決勝進出で県民の悲願が達成された。決勝点となった先制GOALは、前半11分、主将の碓井鉄平が左45度から強烈なミドルシュートを放ち、右サイドネットを突き刺した。山梨学院は前線からプレスをかけて相手ボールを奪い、司令塔の碓井を起点に一気に敵陣に切れ込む攻撃的サッカーで再三好機を作った。後半は青森山田の猛攻に苦しんだが、GK松田ランとDF陣が連携し5試合連続無失点の堅守で勝利した。表彰式で山学イレブンはロイヤルボックスに駆け上がり、応援席に向けて優勝杯を高々と掲げた。
サッカーの聖地国立競技場は4万3635人の大ウエーブで揺れた。試合開始15分前に山学応援席が始めたウエーブに一般席の観客が同調、ウエーブの波がスタンドを2周した直後に両チームの選手が入場して来た。午後2時05分、決勝戦は山学のキックオフで始まった。両チームとも4−4−2の布陣、山梨学院は主将の司令塔碓井鉄平(3年)と宮本龍(2年)のダブルボランチ、青森山田は主将椎名伸志とU−17日本代表柴崎岳が攻撃の起点。山学は試合開始と同時に激しいプレスで相手ボールを奪い取り、津波のように青森山田ゴールを次々に襲った。そして11分、中盤で相手ボールをカットし左サイドを鈴木峻太(3年)が突破、鈴木からのパスを受けた碓井が右足を振りぬき、右サイドネットを突き刺した。前半32分にDF井上拓臣(3年)が足を痛め退場したが、DF渡辺圭祐(3年)がその穴をカバー。前半は素早い攻撃の山学優勢で折り返した。
試合開始時の気温は7.5度。底冷えする寒さの中、生徒・保護者・卒業生・教職員など5000名を超す
大応援団は黄色いメガホンを手に、聖火台左下に陣取った。前半11分、碓井主将の得点の際は、スタンドを揺るがす大きな歓声が上がり生徒たちは体全体で喜びを表現していた。寒空の下、背中に「闘魂」と書かれたブルーの半袖Tシャツ姿の
齋藤佑己生徒会長は「決勝・国立という大きな舞台に連れて来てくれたサッカー部みんなのために、チアリーダー・ブラスバンド・応援団・生徒会が一丸となって感謝の気持ちを込めて応援し、この舞台を大いに楽しみたい」と力強く語った。寒さ厳しい曇り空の下で、いつも通り元気よく黄色と青のポンポンを振り、熱い声援を送るチアリーダー部の
望月美沙都部長は前半を終わり「1点リードしているけど後半相手に挽回されないように選手には頑張ってほしい。私たちも優勝できるよう、みんなで最高の応援をしたい」と笑顔で話した。
サイドが変わった後半、青森山田は運動量を増やし反撃に転じて来た。MF椎名を起点にシンプルな攻撃からチャンスを作り、高い個人技を持つ選手たちが連動してゴールに迫って来た。後半28分の絶体絶命のピンチはGK松田が好セーブで防いだ。DF陣は中田寛人(3年)と関篤志(2年)の両センターバックを中心に、青森の猛攻に体を張り集中を切らさずに防ぎ続けた。後半25分に健闘した俊足FW佐野敬祐(3年)に変えて長身FW加部未蘭(2年)を投入、加部が縦横に走り回り相手に傾きかけた流れに棹を差した。どこからでも攻撃を始め、どこからでも守備を始めた山学の運動量は最後まで落ちず、球際の攻防で終始優位を保ち、5試合連続の無失点で青森山田に競り勝った。横森巧監督は、韮崎高を率いて昭和55年の第58回大会から5年連続のベスト4、準優勝3度の実績を持つが、27年の空白を経た67歳での4度目の挑戦で、初めて優勝監督となった。インターハイでは昭和50年に韮崎を優勝に導いており、後世にまで語り継がれる伝説の2冠優勝監督となった。
全国高校サッカー選手権大会 決勝 (1/11)於 東京・国立競技場
山梨学院高 1 |
{前半1−0} |
0 青森山田高
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{後半0−0} |
得点 碓井鉄平 |
後半終了4分のロスタイム、応援席の生徒たちは神に祈る気持ちでピッチを見つめていた。村上伸次主審の長い笛が鳴った瞬間、スタンドに拍手と歓声が湧き上がった。抱き合い涙ぐむ生徒、教職員たち。勝利後の校歌を涙しながら歌った応援団の
川久保大紀団長は一日を振り返り「まだ優勝の実感が沸かないが、選手が悔いの残らないように精一杯応援した」と語った。また、最後まで半袖で応援し続けた齋藤生徒会長は「とにかくうれしい。サッカー部のおかげでこの喜びを感じることができた。全校生徒を代表して「ありがとうございました」と言いたい」と興奮しながら話し、喜びを噛み締めていた。また、応援席の最前列で第2のキャプテンマークを巻き、“一緒に国立行こう。”と書かれた黄色いトラメガを握り応援をリードしたサッカー部3年の
洞澤秀作選手は表彰式後に全校生徒に向かい「みんなのおかげで日本一になることができました」と涙ながらに語り、全校生徒の“秀作コール”が挙がる中、「日本一だぁー!!」と拳を突き上げ喜びを爆発させた。
優勝チームだけに与えられる栄誉、ロイヤルボックスに駆け上がって表彰を受けた選手たちは、優勝旗と優勝杯らを手に応援席に向かって走り出した。前半に足を負傷した井上拓臣は松田ランに背負われて向かった。同級生や下級生、先輩、先生、保護者の列に届けと雄叫びを上げ、飛び上がり喜びを共有した。そして、心に誓い県大会で優勝した時も封印した横森監督の胴上げを応援席の前で行った、名将は雲間から一瞬差し込んだ光の中で空を舞った。今シーズンの山梨学院サッカー部は、GM横森巧総監督が韮崎工監督以来15年ぶりの監督に復帰するとともに、コーチとして元清水エスパルスヘッドコーチの吉永一明ヘッドコーチと湯浅征二郎GKコーチを招へい、名将と新進気鋭の若手指導者がスクラムを組んで選手を育て、わずか1年で頂点を極めた。選手たちは寮で一緒に暮らし苦楽を共にしてくれた単身赴任の吉永一明ヘッドコーチと湯浅征二郎GKコーチも胴上げし、精一杯の感謝の気持を表した。
大会本部は、大会優秀選手として山梨学院からDF関篤志、DF中田寛人、DF藤巻謙、MF碓井鉄平、MF平塚拓真、FW伊東拓弥の6人を選出した。
好セーブを連発し5試合連続無失点の
GK松田ラン選手「今の気持は最高です。(2年の時は大ケガで1年間プレー出来なかった)3年間辛いことばかりだったけど、優勝したことで全てが幸せなことになりました」。チームの司令塔として大活躍し優勝ゴールを決めた
碓井鉄平主将「本当に嬉しいです。前半の早い段階で自分たちの形が作れた、シュートが決まった時は鳥肌が立った。後半は攻められたが皆が体を張って守り切ってくれた。大会前に優勝して横森監督を胴上げしようと皆で誓った夢がかなった」。
湯浅征二郎GKコーチ「皆のために陰ながら力になろうと思って山梨に来たが、わずか1年で優勝の感激を味わえるとは思ってもいなかった。GKの松田は安定して守ってくれた」。
吉永一明ヘッドコーチ「この1年間、試合ごとに選手を成長させるよう努めて来たが、選手が僕の想像以上に成長してくれて、大会に入ってさらに成長してくれた。よくやってくれた、このチームがこれで終わってしまうことが惜しい」。
横森巧監督「大会前には優勝できるとは思ってもいなかった。決勝戦は4分6分で押し込まれるだろう、前半で何かが出来れば、前半が勝負だと思っていた。ハーフタイムでは『1点では終わらない、1点はないものと思って戦え』と選手に指示した。最後の5分間は長く感じました」。名将は記者団に肩の荷が下りました、解放されましたと語った。
山梨学院高校の山梨県勢初優勝を祝い“優勝パレード”が翌12日に行われることになった。選手たちは午後1時から県議会議事堂前で優勝報告会を行い、パレードはそのあと午後1時45分頃に開始される予定。コースは、甲府市平和通りを南進〜甲府市役所前を左折〜岡島デパート前〜善光寺駅入り口〜酒折駅前〜山梨学院大前〜山の手通り〜山梨学院高。到着後学校での優勝報告会が行われる。(M.I)(Y.Y)
青い稲妻たちへ
君達は 速かった 尋常でなく速かった
そして 強かった 尋常でなく強かった
とても 初出場チームとは思えなかった
電光石火の稲妻のようにフィールドを切り裂き
ボールを奪い 風のように GOALを奪った
大晦日までは まったくの無名チームだった
正月5日には タレント軍団と呼ばれていた
年始1週間で その存在は全国に知れ渡った
プルシアンブルーの青い旋風を巻き起こした
そして 1月9日 夢舞台“国立”に立った
さらに 1月11日 夢のまた夢の場にいた
人々は これを横森マジックと呼んだ
しかし それは真実を捉えてはいない
自分の力と技を磨き 激しくポジションを争い
誰もが 挫折を乗り越えて 這い上がってきた
選手全員が髪を切り 吉永一明コーチまでもが
坊主頭になって懺悔した 屈辱の時も味わった
大怪我を負って挫折しそうになった時もあった
みんなの心がバラバラになりかけた時もあった
全てがリベンジのために 国立のためにあった
これはマジックでも 夢の出来事でもないのだ
君達は 日本一に挑み 日本一の栄冠を頂いた
しかし 人生では 奢るということが一番の敵
謙虚な気持ちで新たな一歩を踏み出してほしい
君たちは 歴史の扉を開ける快挙を成し遂げた
そして後輩たちに 夢の続きをプレゼントした
おめでとう 青い稲妻たち
(M.I)
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