山梨学院パブリシティセンター
●連歌発祥の地に眠る古墳
〜不老園塚古墳(酒折古墳)は無袖の横穴式石室〜
〜山梨学院大考古学研究会が現地を発掘調査〜

山梨学院大学考古学研究会は9月13日から19日にかけて、これまで学術的調査が行われてこなかった甲府市酒折の酒折御室山(月見山)中腹に眠る不老園塚古墳(酒折古墳とも呼ばれる)で発掘調査を行った。現地は酒折宮の古社があった場所、古代の日本武尊東征伝説で火焚きの翁と問答を交わしたとされる連歌発祥の地。伝説に彩られた標高312mの尾根に眠る人物はいったい誰なのか、いつの時代に作られたものなのか、剥き出しの石室が風雨にさらされてきた謎の古墳に初めて学術調査のメスが入った。発掘調査は、床面に流入した土壌を剥いで礫床を露出させ、遺物が存在するか確認するとともに、古墳周りを実測して墳丘の全体像を浮き彫りにした。調査の結果、古墳時代の土師器(はじき)と見られる土器片などが出土、この古墳は古墳時代後期7世紀頃に作られた無袖の横穴式石室を持つ円墳、甲府北山筋の氏族長クラスの墳墓と推定された。
発掘調査は、酒折宮と不老園の協力で実施された。初日の13日には、酒折宮の飯田直樹宮司による神事が行われ、調査に参加する大学生と顧問の十菱駿武教授、それに川手千興酒折連歌賞実行委員長、FM甲府川崎博常務、椎名慎太郎山学大名誉教授が参列して調査が始まった。不老園塚古墳は江戸時代からその存在は知られていたが、天井石は動かされ、剥き出しにされた石室が長い間風雨にさらされて来た。目的がはっきりしないが約40年前に石室上部に鉄柵が設けられた。この古墳に関する史料は、1974年に甲斐古墳調査会が発行した「甲斐の古墳1」にわずかに「古墳の形式は不明、竪穴石室であったかもしれない」と記載されている程度で、古墳の実測図や石室の構造を調べる遺跡調査はこれまで行われてこなかった。
古墳のある酒折御室山(通称月見山)は、南方から見るとピラミッド形に見え、古代の神奈備型山岳信仰と結びつく磐座(いわくら)と云われている巨石が尾根上に3か所存在する。石室に使われている石は約600万年前に帯那山が噴火した時に噴出したこの付近の山に数多い安山岩で出来ており、古墳の形態は土盛り古墳、この周辺一帯の山裾に多数点在する謎多き古墳「積石塚古墳群」とは明らかに異なる。今回の調査で床面を掘り下げたところ、古墳時代の土師器と見られる素焼の土器片が出土した。石室の入り口部分が1,20mなのに対し中央部分は1,50mと胴張りが見られることや、石室の壁に袖がない「無袖の横穴式石室」を持った「円墳」であることが確認された。古墳の墳丘は高さが約2m、直径は約10mと推定された。甲府北山筋の氏族長クラスの墳墓と推定されたが、男か女か、何人かが追葬されたかは不明。また、ほぼ同じ時期(6世紀〜7世紀)と見られる積石塚古墳群との関係はどうなのか、異なる集団なのか、酒折・横根・桜井の地に残る古墳群の関連性は依然謎のままで今後の研究課題。
調査に参加した学生の一人清水勇希さん(政治行政学科1年)は「小学生の頃から歴史や考古学に興味があり、大学の近くに歴史的な遺構があると聞いて楽しみにしていました。来てみたら非常に眺めのいい場所、古代人はロマンのある場所を選んでいると思いました」と古墳時代への夢を膨らませていた。
指導者の十菱駿武教授は「古墳時代後期の6世紀後半から7世紀前半の小規模な横穴式石室を持つ円墳と見られる。この地域を一望に見渡せる場所に作られていることから、甲府北山筋の氏族長クラスの墳墓と考えられる」と推定し「酒折山は、月見山・伴部山・八人山の三山を合わせた通称、この尾根伝いを歩くハイキングコースには歴史文化遺産が数多く点在する、『酒折連歌の路』として観光資源にする価値がある。また月見山の名は、江戸時代の人々が、中秋の名月を見るために日本武尊ゆかりのこの地に登り、そこから東の方向をみると山の稜線がちょうど鏡台のように凹型にへこみ、そこから上がる名月を楽しんだことに由来していると言われる。平成の世は余裕のない気忙しい社会だが、風情を楽しんだ江戸時代の人々にならい、自然を愛でる月見会を催してもいいのではないか」と話している。 (M.I)
アルバムはこちら

Copyright (C) 2010 YGUPC. All Rights Reserved.