
ロンドン五輪に出場している鈴木聡美選手が夢舞台で山梨学院大の歴史始まって以来の快挙を成し遂げた。女子100m平泳ぎ決勝で堂々と3位に入り銅メダルを獲得した。山梨学院大からは夏冬合わせて過去に23人、このロンドン五輪に10人の選手が出場しているが、表彰台に上がったのは鈴木聡美が初めて、大学史上初の快挙となった。山梨県水泳界としても初、夏季五輪の個人競技メダリストとしても初、山梨の五輪の壁も超える大金星となった。このレースの模様を、山学大の水泳部員はパブリックビューイングで固唾を飲んで見守った。50mを6位で通過した鈴木が後半ぐいぐいと順位を上げ、ゴール直前で3位に上がると会場の広報スタジオは大興奮と大声援に包まれた。夢の表彰台に 上がった鈴木は、最高の聡美スマイルを見せた。山梨日日新聞は、号外を出して、鈴木聡美の快挙を称えた。
鈴木聡美(すずきさとみ・経営情報学科4年)の決勝レースを応援する第2弾の早朝パブリックビューイングが大学キャンパス内クリスタルタワー7階広報スタジオで行なわれた。前期テスト期間中ながら、水泳部の部員50人が前夜に続き結集した。直前に行われた100m背泳ぎ決勝で女子の寺川綾と男子の入江陵介が連続して銅メダルを獲得、「日本に流れが来てる、鈴木も行ける」と会場の期待感が一層高まった。女子100m平泳ぎ決勝は日本時間の7月31日午前4時10分過ぎに行われた。準決勝を7位で通過した鈴木のコースは1コース、レース直前に6コースのラーソン選手が飛び込むハプニングがあったが、鈴木は動揺せずに最高の反応で入水、前半の50mを31秒39でターンした。通過順位は6位だったが、自己が持つ 50mの日本記録(31秒40)よりも早いペースで折り返した。そして、後半の泳ぎが圧巻だった。力強いキック力と水面を滑るように進むフラットな泳法で前を行く選手にぐいぐい迫った。ラスト10mではまだ6位だったが、ラスト5mで3人を一気に抜き去り逆転の3位でゴールした。タイムは、高速水着時代に出した自身の日本記録(1分06秒32)には届かなかったが、4月の選考会で出したシーズンベストを上回る1分06秒46の好タイムだった。福岡の高校時代は無名選手だった鈴木は、山学大で才能を開花させて日本の頂点に立ち、オリンピックという最高の舞台で最高のパフォーマンスを演じて見せた。
レース後のインタビューで鈴木聡美が「端っこからのレースで、自分のレースに集中しようと臨みました。自己記録にはちょっと及ばなかったですけど、いいレースが出来たと思います。スタート前のアクシデントにはびっくりして私も落ちそうになったんですけど、逆に緊張がほぐれる原因ともなって、すごく落ち着いてレースをすることが出来たと思います。メダリストの仲間入りが出来て本当に嬉しいですし、2日後の200mもこの勢いのまましっかり泳ぎたいなと思います」と答えるシーンが映し出されると、パブリックビューイング会場は「よくやった〜、200もメダル行けるぞ〜」と歓声が沸きあがり、会場のボルテージは最高潮に達した。
1年の時から4年間支えている
高崎有紀子マネージャーは「前半の流れとしてもいいかなと思いました、後半もラストで凄く伸びて来たので、自信を持ってレースに臨んだと思います。練習の過程で後半どこまでいけるかという練習をたくさんして来ましたので、練習の積み重ねがこの結果につながったと思います」とシドニー記念水泳場での激しい練習の一端を紹介した。
須藤勝也男子主将は「前半見る限りでは厳しいかなと思ったんですが、後半凄く伸びて来て、見ていて楽しいレースになり盛り上がりました。大舞台に緊張しないでいいレースをしてくれた」と健闘を称えた。
綿谷健佑コーチは「鈴木はこのところ前半から行くレースも、後半に伸ばすレースもどちらも出来るようになって来た。最新の世界ランキングでは200mが2位、100mが3位に上がった。最近は200mが楽しくなっているかも知れない」と分析している。100mのメダル獲得で、2日後に行われる200mでのメダルの期待が一層高まって来た。鈴木はプレッシャーに負けない強い精神力を持っている。もしかしたら、もっといい色のメダルを取ってくれるかも知れない。8月5日に行われるメドレーリレーでも日本チームにメダルをもたらすかも知れない。ますます鈴木のレースから目が離せなくなって来た。
200m個人メドレーの加藤和選手(かとういずみ・政治行政学科4年)は、準決勝14位(2分14秒47)に留まり、決勝進出はならなかった。しかし、加藤はよく戦った。4年前の北京五輪をあと一歩の所で逃し、悩んだ末に福島から山学大に編入する道を選び、大震災を乗り越えて福島県出身初の五輪水泳選手となった。故郷の福島に希望の灯をともし、そして、山学大の水泳部員に「自分を見失いそうになるほど苦しくても、逆境にあっても、ひた向きに努力すればいつか夢は叶う」ことを身を持って教えた。パブリックビューイングでレースを見守った仲間たちは「いずみさん、お疲れ様でした、ありがとうございました」と画面の加藤に言葉をかけた。
山梨学院大学にとって、2012年7月31日の早朝は、永年の夢が実現された朝となった。1977年に山梨学院スポーツセンター(2006年に山梨学院カレッジスポーツセンターに改称)を設立。カレッジスポーツの振興に力を注ぎ、1992年のバルセロナ五輪レスリンググレコローマン48s級に大橋正教(現ALSOK監督)を送り込んで以来、夏季大会・冬季大会に合計23人の選手を輩出して来た。これまでの最高は1998年の長野五輪ショートトラックの林(旧姓小澤)幸と、2000年のシドニー五輪競泳200m背泳ぎの萩原智子の4位が最高成績だった。鈴木聡美はカレッジスポーツ振興35年目にして初めて誕生した、山梨学院大初の五輪メダリストとなった。
川上隆史カレッジスポーツセンター副センター長は「オリンピックでメダルを取るということは、とてつもない山に登るということ。メダルを取ることに生活のすべてをかけてトレーニングをしている選手の集まりですから、いかに大変な山であるかは選手自身が一番良く分かっています。鈴木さんは歴史の1ページを作った。山梨学院としても、日本のスポーツ界としてもメダリストとしてその名を永久に残す。まだ興奮していて、本当にすごいことをしたんだと実感するのはこれからかも知れません。山学大の各チームはインカレなどでチームとして仲間と共に戦っています。一人で戦っているんじゃないという思いが大舞台のパフォーマンスにつながったと思います。帰ってきたら、ただおめで とうと言うだけでなく、大変なプレッシャーの中で良く戦った、心からご苦労様と伝えたい」と喜びを表現した。
文(M.T) カメラ(平川大雪)
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