山梨学院パブリシティセンター
戦争の痕跡を学生が調査
〜全国シンポジウムで戦争遺跡調査結果を発表〜
〜山梨学院大学考古学研究会〜

岡山県で開催された「第17回戦争遺跡保存全国シンポジウム岡山県倉敷大会」で、山梨学院大学考古学研究会の学生代表が、上野原市西原(さいはら)地区に残る戦争遺跡調査結果を発表した。西原地区には、飛来する米軍機の爆音を聞き分ける聴音壕(ちょうおんごう)と防空監視哨舎跡、それに、山梨県内唯一のB29墜落地点などの戦跡がある。山梨学院大学考古学研究会の学生たちは、山梨県戦争遺跡ネットワークの人たちとともに、昨年10月から3回にわたり現地調査を行い、5月から採集した遺物の整理実測作業を進めてきた。8月18日の全国シンポジウム分科会で、学生代表の清水勇希さんが戦跡ネットメンバーとともに調査結果を発表した。全国シンポジウムには、全国から約300人 が倉敷市に集まり、3日間にわたり戦争遺跡の保存や活用、次世代への継承が討議された。


終戦から68年、戦争を体験した世代にとっても、戦争を知る世代にとっても、太平洋戦争は遠い過去の出来事に変わった。戦後という言葉も死語となった。まして、戦争を知らない学生たちの世代にとっては、生まれる前にあったらしい、教科書で学んだ歴史上の出来事。時の流れとともに、過去も人の記憶も曖昧なものになる。その一方で、風化させてはいけない、ふるさとに残る戦争の痕跡を戦争遺跡として保存し、次世代に伝えようという動きが、全国各地で静かに起きている。岡山・倉敷市で行われた全国シンポには、第2次世界大戦中にナチスが建設した強制収容所記念館の館長も出席し「収容所と兵器による犠牲者を慰霊する活動を続けている、追悼と教育の場を次の世代に残さなければいけな い」と記念講演で訴えた。

山梨学院大学考古学研究会は、顧問の十菱駿武客員教授が代表を務める山梨戦跡ネットのメンバーとともに、昨年10月から3回にわたり、宮坂和史、増田康雄、清水勇希の3人が上野原市西北部の西原地区に入り、戦争遺跡の分布調査を行った。西原地区には、戦時中、上空に飛来する米軍機の爆音を聞き分けて空襲警報を発令させた径4,6m、深さ1,7mの六角形の聴音壕と防空監視哨舎跡があり、当時使われた軍用食器や統制陶器・ガラス瓶などを収集した。また、日本軍機の体当たり攻撃により中郡山山中に墜落したB29の残骸物調査と聞き取り調査を行った。野外調査後、5月から6月にかけ、研究会の部室で採集遺物の整理実測作業に取り組み、社史・統制陶器等についての歴史資料の比較検討、報告編修作業を行った。整理実測作業には、清水勇希、大柴俊太郎、荒川哲志、中山龍太郎、金安俊哉、土橋正弥、時山祥輝、大坪友作、横田和真の9人のメンバーが当たった。採集品の中には、底の部分に「瀬455」と焼き込まれた碗があり、愛知県瀬戸市陶磁器協同組合の窯で焼かれた統制陶器と判明した。この他、平皿で緑色の2本線 がある国民食器や焼酎を入れたと思われるガラス瓶の破片などが見つかった。

学生代表として全国シンポで発表した清水勇希さんは「古代だけが適用するのでなく、昭和時代の物も近代遺跡として、考古学の研究対象であることを学んだ調査でした。自分が住む南アルプス市には陸軍の秘密飛行場ロタコ工事跡、韮崎市の七里岩には地下壕、西原地区には聴音壕など、身近な山梨にも戦争を伝えるものがあることを知り、全国シンポに出させてもらったことで、広島・長崎・沖縄だけでなく、全国各地に戦争の跡がたくさん残っていることを知りました。戦争を知らない自分たち若い世代も、しっかり学んで伝承して行かなければいけないと感じました」と感想を語った。顧問の十菱駿武客員教授は「50代から70代の参加者が多い中で、若い学生の発表は注目を集めました。聞き取り調査に応じてくれた当時を知る西原地区の人たちは、B29墜落時の状況などについて正確に記憶していました。山梨県内の戦争遺跡は、68年経った今も戦争の記憶を鮮明にとどめています。上野原市は、8月の広報で調査した聴音壕について市民に紹介しました。山梨の近代史を語る戦争文化財の保存と史跡指定が進むことを希望したい」としている。

学生たちは、今回の全国シンポジウムだけでなく、10月12日に横浜市で開かれる日吉台地下壕保存大会と、10月19日に東京で開かれる浅川地下壕を考える催しでも、山梨での事例として調査結果を報告することにしている。

文(M.T) 写真提供:山梨学院大学考古学研究会
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