リオ五輪出場後藤輝也選手来校
~古屋忠彦学長を表敬訪問、五輪応援を感謝~
~ワールドカップ・五輪のダブル代表を目標~
リオデジャネイロ五輪に出場したラグビー男子7人制(セブンズ)代表の後藤輝也選手(2014年卒・現NEC)が8月30日、母校・山梨学院大に来校し、古屋忠彦学長を表敬訪問した。後藤選手はNECのチーム関係者とともに古屋学長、下田正二郎カレッジスポーツセンター長らに五輪出場の報告を行った。後藤選手は、山梨県忍野村出身で県立桂高校を経て山梨学院大に入学。在学時には主将を務め、チームの関東リーグ1部昇格に貢献した。卒業後はNECに所属し、今夏のリオ五輪では、初戦のニュージーランド戦で記念すべき日本の初トライを決め、優勝候補撃破の大金星に貢献。日本チームは、その後予選リーグを突破し、準々決勝では強豪のフランスに逆転勝利し、ベスト4という結果を残した。後藤選手は「ニュージーランド相手でも勝てる力を持っていると思っていたので、そこで最初に先制トライでき、チームにも勢いを与えることができたので良かったです。こんなにも応援してくれていることを知り大変嬉しく思いました」と語った。
後藤輝也選手は山梨県忍野村出身の24歳。山梨県立桂高校を経て山梨学院大に入学。大学4年時には主将を務め、関東リーグ2部優勝、1部2部入替戦では、後藤選手自身が先制トライで攻撃の口火を切ると、他の選手も負けじと攻守で健闘。50対26で拓殖大を下し、11シーズンぶりの1部復帰を決めた。大学卒業後はNECに入社。NECグリーンロケッツに所属し、ジャパンラグビートップリーグや15人制日本代表、セブンズ日本代表としてプレーしている。五輪でのラグビー競技は今夏のリオ大会から正式採用。セブンズ男子日本代表には後藤選手の他11選手が登録。リオ五輪初戦のニュージーランド戦では、開始3分で後藤選手が記念すべき日本の初トライ決めた。試合は、後半も日本が粘りを見せ、14対12で勝利。当日は、山学大でもラグビー部の選手らを中心にパブリックビューイングが行われ、後藤選手の初トライや優勝候補撃破の大金星に会場からは大歓声があがった。その後、日本チームは予選リーグを突破し、決勝リーグに進出。準々決勝では、強豪フランスを相手に後藤選手のトライなどで12対7と逆転勝利。準決勝、順位決定戦で敗れはしたものの、初出場でベスト4という日本ラグビー界に新たな1ページを刻んだ。
この日は所属するNECグリーンロケッツの角田道生チームディレクターと来校し、古屋忠彦学長と下田正二郎カレッジスポーツセンター長、吉田浩二ラグビー部監督らにリオ五輪の出場を報告。古屋忠彦学長が「大会はテレビで観戦していました。歴代の山学のキャプテンの中で一番キャプテンシーがあると思っていましたが、試合でも輝いていました。学園創立70周年を迎え、本学のカレッジスポーツの歴史に華を添えてくれました。山梨学院にとってラグビーはかけがいのない競技になり、学園への貢献には計り知れないものがあります」と労いの言葉をかけ、下田正二郎カレッジスポーツセンター長は「カレッジスポーツ振興の歴史の中でラグビーは3番目に強化をいたしましたが、五輪種目として採用されていないこともあり、オリンピアンの誕生には程遠い状況でした。今回、記念すべき初代表に選ばれ、大会でも歴史的な初トライを決め、活躍したということで大変うれしく思います」と後藤選手を称えた。大学時代後藤選手を指導した吉田浩二監督は「下田先生からはヒーローという言葉をもらい、学長先生からは学園の新たなイメージと言っていただき、誇らしく思います。在学中、キャプテンをやっている時に、新たなチャレンジをすることを厭わない選手だったので、こういう形で結果を残してくれたことに嬉しく思います。後輩たちには、チャレンジすることが楽しいんだということを感じて頑張ってもらいたいです」と話し、後藤輝也選手は「初戦を良い形で勝利したい気持ちがあり、ニュージーランド相手でも勝てる力を持っていると思っていたので、そこで最初に先制トライでき、チームにも勢いを与えることができたので良かったです。こんなにも応援してくれていることを知り大変嬉しく思いました。2019年には日本でワールドカップがあり、2020年には東京五輪がありますが、まだ期間があるので、国内のリーグでアピールして、まずは代表候補として招集されるように頑張りたいです」と語り、後輩に向け「大変だと思いますが、1部でプレーすることでまた違った世界や楽しさがあると思うので、1部にあがってもらいたいです」と述べた。後藤選手からは大学を挙げての応援への感謝の意味を込めてサイン入りのセブンズ日本代表ジャージーが古屋学長に贈られた。
山梨県は8月29日に、競泳男子800mリレー銅メダルの山学OBの江原騎士選手(自衛隊体育学校)と後藤選手に山梨県イメージアップ大賞の授与を発表。山学関係者への五輪における活躍での同賞の授与は、2000年の萩原智子さん、2012年の鈴木聡美選手(現ミキハウス)に次いで3例目となった。
文(Y.Y)、カメラ(K.F)2016.8.30