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リオ「柔道」銅メダル山部佳苗、本学を表敬訪問
~山学柔道部初の銅メダルを学長らに披露~
~山部選手のスポーツ万能ぶりの話題等で歓談~

山梨学院大学卒業生でリオデジャネイロ五輪に初出場、78㎏超級で銅メダルを獲得した山部佳苗選手(法学部2013年卒 ミキハウス)が9月26日山梨学院大を訪れ古屋忠彦学長らを表敬訪問、リオ五輪での活躍を報告した。山部選手は山部伸敏柔道部女子監督を伴って紺のスーツ姿で現れ、「呼んでもらえて光栄です」と緊張の面持ちで謝辞を述べた。それに応え古屋忠彦学長は「本学の柔道部女子、水泳部男子とともに新しい歴史をつくった。こんなにうれしいことはない」と初出場と初メダル獲得の活躍を称えた。歓談にはカレッジスポーツセンター下田正二郎センター長も同席し、和やかな雰囲気の中、リオ五輪での試合のことや山梨学院大レスリング部高田裕司監督がデザインした日本代表選手のユニフォームのこと、山部選手のスポーツ万能な運動神経などを話題に1時間余りの歓談が行われた。最後は全員で記念写真に納まった。

山部佳苗選手は北海道札幌市の出身、父の影響で6歳頃から柔道を始め、中学3年で全国中学校柔道大会の70㎏級で2位になった。山部選手は柔道以外にもスポーツ万能で野球・サッカー・水泳・スキー・スケートをこなし、その運動神経が一瞬の判断とバランスを要求される柔道に活かされている。北海道旭川大高では高校2年の時にインターハイの78㎏級で3位、高校3年では永遠のライバル田知本愛に勝利、日本ジュニア優勝を果たし山梨学院大に進学した。1年の時に全日本ジュニアで2連覇を成し遂げ、2年時に学生以外も出場する講道館杯で優勝。3年時の全日本学生柔道優勝大会では山梨学院の2連覇に貢献した。2013年ミキハウスの所属となり、社会人でも国内外の大会での活躍が評価されるなど重量級の第一人者となった。今年の4月の全日本選抜体重別選手権優勝、皇后杯全日本選手権で優勝し初の五輪代表選手に選出された。リオ五輪では初戦の2回戦にリトアニア選手に大外刈りで一本勝ち、準々決勝でもオランダの選手に体落としで1本勝ちを収め、準決勝に臨んだがロンドン五輪優勝のキューバの選手に有効で敗れ、3位決定戦に回った。決定戦では序盤に大外刈りで技ありのポイントを奪い優位に試合を進め、最後は相手の猛攻を凌ぎ、山梨学院大創部以来初の五輪メダルを獲得した。

リオ五輪で獲得した銅メダル胸に山部佳苗選手は山梨学院大柔道部・山部伸敏女子監督に伴われ学長室を訪れた。会うなり古屋忠彦学長は、先日札幌で行われた本学出身の高梨裕稔投手が所属する日本ハムファイターズの試合で山部選手が始球式を行い、ストライクを投げたことを話題に場を和ませた。山部佳苗選手はリオ五輪での活躍や出身地の札幌で北海道『栄誉賞』が贈られ大歓迎を受けたことを報告し、「たくさんの人に応援をいただき、今日呼んでもらえて光栄です」と謝辞を述べた。それに応えて古屋忠彦学長は「本学の柔道部、水泳部男子とともに新しい歴史をつくった。こんなにうれしいことはない。本学はバルセロナ五輪から数えて53人もの選手を輩出した。大学からオリンピアンを一人出すだけでもすごく大変な中、今大会では本学から柔道・水泳・ホッケー・陸上・ラグビーと5競技にわたる種目に出場したのも喜ばしいし、9人の出場選手も大学では4位」と喜んだ。それに続けてカレッジスポーツセンター下田正二郎センター長は「過去7回の大会で1人だけというのは1度もないですし、大学では60~70校がオリンピック選手を出していますが1人だけというのも40数校あり、本学は最初から2人で毎回複数人出しているのも歴史だと思います」と話した。和やかな雰囲気の中、リオ五輪での試合のことやリオ五輪日本選手総監督・高田裕司山梨学院大レスリング監督がデザインした日本代表選手のユニフォームのこと、山部選手のスポーツ万能な運動神経などを話題に1時間余りの歓談が行われた。最後は全員で山部選手の前途を祝ってお茶で乾杯、記念写真に納まった。

学長室での歓談を終えた山部佳苗選手は、4年間の山梨学院大での選手生活を「楽しくできた伸び伸びやらせてもらえた4年間だったと思います。勝負の姿勢というのは浅見(八瑠奈)先輩から習ったと思うし、勝負の厳しさをいろいろ学んだ4年間だったと思います」と振り返った。また、後輩選手たちに「パブリックビューイングで後輩たちが全力で応援してくれる姿を大会が終わった後見てすごくうれしく思ったし、オリンピックという舞台は特別で緊張する舞台で、柔道は特に1階級1人しか出られないという中で出場することは本当に特別なことだと思うので、あの舞台というのは憧れでもあるし夢がいっぱい詰まっている舞台なのでぜひ出てほしいなと思います」と感謝とエールを贈った。4年後の東京五輪に向けては「私自身は今のところこれからの柔道人生は未定なところがあるので本当に東京五輪目指して頑張るという覚悟が決まってから話したいと思います」と明言を避けた。

文(K.F) カメラ(平川大雪) 2016.9.26