●第93回箱根駅伝―復路
~上位入賞を逸し、3年ぶりにシード権も落とす~
~万全な布陣で臨めず、結果に指揮官の眼に涙~
「第93回東京箱根間往復大学駅伝競走」が1月3日、箱根芦ノ湖から東京大手町の読売新聞本社前までの復路5区間109.6kmのコースで行われた。よく晴れ渡った箱根芦ノ湖畔はスタート時間の午前8時の気温は0℃、微風と穏やかなコンディションの中、前日の往路で3連覇した青山学院大学からタイム差で次々とスタートした。2位の早稲田大とは33秒差、4位の東洋大まで3分以内の混戦。山梨学院大は2日の往路で1区伊藤・2区のニャイロで流れに乗れず総合成績で16位と出遅れたがシードラインの10位までは2分差とシード争いも白熱さを増す。今季の山梨学院は三大駅伝優勝を目標に掲げたが、出雲2位、全日本大学3位と目標には届かず最後の箱根駅伝優勝に照準を絞った。しかし往路で流れに乗り切れず、16位でゴールすると、次にシード権獲得に目標を変えた。3日朝8時、復路箱根芦ノ湖のスタート地点は快晴に恵まれ、空気は冷たいものの0℃の気温でも風もなく寒さを感じさせない。6区は昨年の雪辱を晴らそうと秦将吾(4年)が担い、一気にシード争いに加わろうとするが、区間16位と順位を上げることができなかった。7区久保和馬(2年)が2つ順位を押し上げシード権に近づいたかに見えたが、8区小山祐平(4年)、9区古賀裕樹(3年)、10区熊代拓也(4年)は徐々に時間差を広げられシード権獲得には至らず、総合17位と当初は予想すらしなかった順位に沈んだ。次回は予選会からの挑戦になる。優勝は往路で3連覇を飾った青山学院大が復路で相手を寄せつかせない強さを見せ、総合3連覇、史上4校目となる三大駅伝優勝の3冠に輝いた。
◆6区[20.8km 箱根芦ノ湖 ⇒ 小田原中継所] 秦将吾(4年)
復路の流れを作るのも出足が鉄則。軽快な走りでスピードが武器の秦将吾(4年 愛媛・今治)が昨年箱根初出場に続いて6区を任された。秦は1500mで関東インカレで優勝するなど中距離が得意なスピードランナー。出雲駅伝、全日本大学駅伝で区間3位と箱根に向けて長距離に対応できる走法に仕上げてきた。昨年は、腹痛でタイムが上がらず、区間18位と総合順位を落とし、屈辱を味わった。今回は、前回の雪辱を果たすべくスタートラインに立った。表情は極めて穏やかに見えた。箱根芦ノ湖畔をトップの青山学院大から8分11秒後に小田原中継所を目指してスタートした。レース後、秦将吾選手は「スタートして序盤は良い感じで走れて、個人的にも今日は調子がいいなと思ったのですけど、宮ノ下を過ぎたあたりから前から気になっていた足首が走り続けた結果、少し痛み出し、最後にペースを上げられなかったのは自己管理不足というか、今回の駅伝に繋がってしまった」と悔やんだ。区間記録は14位、総合では16位と往路からの順位を上げられなかった。「今回の繰上げスタートでシード権落ちというのは、走ってみて分かるように4年生が確実にしっかり走れなかったからこのような結果になったので3年生や下級生に負担を掛けてしまって申し訳ない気持ちです」と責任を口にした。
◆7区[21.3km 小田原中継所 ⇒ 平塚中継所] 久保和馬(2年)
7区の久保和馬(2年 熊本・九州学院高)は、今朝のメンバー変更で市谷龍太郎に代わって駅伝デビューを果たした。高校駅伝の名門校九州学院高で2度都大路に出場。これまで特筆する記録は残していないが、ハーフマラソンもこなすスタミナが持ち味。この区間は、往路の4区で前半3kmが下りながらほぼ平坦、後半に小刻みなアップダウンが続き、気温も上がる区間でペース配分に注意を要する。久保は、期待された秦が思いのほか、前を詰められなかったために、シード権争いに加わるべく、前を追った。昨年の市谷龍太郎(2年 山梨学院高)と同タイムで2校を抜き、14位に押し上げたがシードラインの10位とは2分36秒。差が縮まらない。レース後の報告会で久保和馬選手は「今回の結果をしっかり受け止めて、3年生以下は来年もあるので、しっかり来年の今日、笑顔でこの大手町で10区の選手を迎えられるように、これから1年間頑張っていきたいと思います」と述べた。
◆8区[21.4km 平塚中継所 ⇒ 戸塚中継所] 小山祐平(4年)
8区の小山祐平(4年 和歌山・日高高)は、4年にして初めての箱根駅伝を経験した。卒業後は陸上競技をやめ、将来的には指導者になり箱根駅伝を目指す子どもたちを育成する夢を持っている。箱根の経験は指導者としての大きな糧になると考えている。8区の区間記録は第73回大会(1997年)で山梨学院の古田哲弘(当時1年生)が記録した区間新記録がまだ破られていない。今年も21人が挑戦したが、350人が跳ね返された。8区の中継点の気温は12.4℃。日差しも強く暑さの戦いになった。小山祐平選手は「最後の箱根駅伝でしたがチームとしても個人としても悔いの残る結果となってしまいました。3年生以下、強い選手が多くいますので来年はリベンジして欲しい」と後輩に雪辱を託した。
◆9区[23.1km 戸塚中継所 ⇒ 鶴見中継所] 古賀裕樹(3年)
9区にエントリーされたのは、古賀裕樹(3年 福岡・大牟田高)。マラソンで活躍することを目標に陸上を続けるという。苦しくなってから粘れることを長所としている。初めての箱根駅伝出場の大役を担ったが、緊張のために身体が思うように動かず、シード争いに絡めない状況にタイムをさらに引き離され、古賀が中継点に着いたときには10区の熊代拓也はすでにいなかった。トップが襷を繋いで20分が経過すると繰り上げスタートになり、21分36秒が経過していた。報告会で古賀裕樹選手は「今回自分の区間で繰り上げになってしまい、チームの皆さん、山梨学院を応援してくれる皆さんの期待に応える走りができませんでした。これから自分は4年生になり、皆を引っ張っていく立場になります。来年こそは結果でチームに貢献できるように努力していきます」と述べた。
◆10区[23.0km 鶴見中継所 ⇒ 東京大手町] 熊代拓也(4年)
最終区10区は20kmを安定した力で走りきる4年生の熊代拓也(和歌山・和歌山北高)。9区の古賀裕樹が中継所に襷を運ぶ1分36秒前に明治大、日大など実績のある5校とともに一斉繰り上げスタートになり、新しくなったロゴマークが縫い込まれた襷繫ぎが途切れた。先の全日本大学選手権で初の駅伝を経験。区間13位という結果を残し、初の箱根駅伝に抜擢されたが、繋いできた各区間でブレーキが続き、負の連鎖に飲み込まれ苦しい走りに終始。最下位でゴールした。熊代拓也選手は「今回優勝を狙っていたにも関わらず、このような結果になってしまい、申し訳なく思います。個人としては来年に繋がる走りをしようと思ったのですが、後半思った以上に走ることができず、区間最下位という結果になってしまいました。4年生は卒業まで2ヶ月あります。しっかり次の世代にいい形に繋げられるように、自分たちができることを最後までやり遂げていきたい」と述べた。
■復路成績18位 復路時間 5時間41分56秒
順位 | ランナー | 区間タイム | 区間順位 | 合計タイム | 総合順位 |
6区 | 秦 将吾 (4年) | 1:00:54 | 14位 | 6:42:50 | 16位 |
7区 | 久保和馬 (2年) | 1:06:04 | 15位 | 7:48:54 | 14位 |
8区 | 小山祐平 (4年) | 1:09:39 | 18位 | 8:58:33 | 16位 |
9区 | 古賀裕樹 (3年) | 1:15:31 | 18位 | 10:14:04 | 16位 |
10区 | 熊代拓也(3年) | 1:15:13 | 20位 | 11:29:17 | 17位 |
■エントリー変更
6区・池田真臣(2年 長崎・諫早高)⇒秦将吾 7区・市谷龍太郎⇒久保和馬(2年)
■復路順位(総合順位10位までがシード権獲得)
復路順位 | 大学名 | 総合順位 | 大学名 |
1位 | 青山学院大学 | 1位 | 青山学院大学 |
2位 | 東洋大学 | 2位 | 東洋大学 |
3位 | 日本体育大学 | 3位 | 早稲田大学 |
4位 | 東海大学 | 4位 | 順天堂大学 |
5位 | 法政大学 | 5位 | 神奈川大学 |
6位 | 順天堂大学 | 6位 | 中央学院大学 |
7位 | 神奈川大学 | 7位 | 日本体育大学 |
8位 | 中央学院大学 | 8位 | 法政大学 |
9位 | 早稲田大学 | 9位 | 駒澤大学 |
10位 | 大東文化大学 | 10位 | 東海大学 |
16位 | 山梨学院大学 | 17位 | 山梨学院大学 |
レース終了後の結果報告会で保護者、関係者、選手たちを前に大崎悟史コーチは「4年生は力が足りないと言われていましたが、私自身は4年生はこの一年間、優勝という目標を胸に出雲、全日本、箱根に挑んでやってきてくれました。この中で優勝という目標には全く応えられませんでしたが、結果として、この悔しさの経験が、残る選手にプラスになったと思えるように頑張ります」と述べた。飯島理彰コーチは「総合17位、何より襷が繋がらなかったことに非常に悔しく、情けなく思っています。心のどこかに隙があったのかなと自分自身思います。来年は予選会からの戦いになりますが、自分に厳しく、選手とのコミュニケーションを密にして二度とこのような思いをさせないチームとして戻ってきます」と述べた。上田誠仁監督は「やるべきことはやってきた。でも足りなかった。この悔しさ、惨めさ、俺たちは忘れてはならない。今日の結果が俺たちの今の力だ、偽りのない力だ。この悔しさを糧に一歩踏み出してほしい。必ず力を付け箱根に戻ってくる。絶対に立ち上がってお前たちとともに来年に向っていかねばならない。」と指揮官は涙をこらえ、皆に呼びかけた。最後にチーム全員で円陣を組み来年の活躍を誓った。上田監督は主力が大会直前に掛かったインフルエンザや、ニャイロの足の故障で万全な布陣で臨めなかった苦しかった胸の内を取材陣の前で明かした。
文(K.F)カメラ(平川大雪・藤原稔・今村佳正・小池裕太・Y.Y)
2017.1.3