●平成30年度全国高等学校駅伝競走大会
~山学高、女子18位・男子38位と苦戦~
~男女とも序盤で流れを呼び込めず、挽回できず~
「男子69回・女子30回全国高等学校駅伝競走大会」が12月23日、京都市西京極陸上競技場を発着点とする、男子7区間42.195km、女子5区間21.095kmで行われた。都道府県の予選会に優勝した男女47校と女子は30回の節目の大会にあたり各地区代表11校を加えた58校が出場。女子は10時20分にスタート、5区間でレースが行われた。山梨学院高は小笠原朱里(3年)を中心に2年生、1年生をバランスよく起用し臨んだ。昨年の都大路では12位と入賞を逃した悔しさを関東大会で接戦を制した勢いを全国大会にぶつけた。1区小笠原朱里(3年)は、昨年と同様の5位で襷を繋いだものの、その後の区間で順位を落とし、18位でゴール。昨年の借りを返すことはできなかった。男子は午後12時半にスタート。絶対的エースの飯澤千翔(3年)を故障で欠く中、1区には橘田大河主将(3年)が重責を担った。しかし、気負いから速いペースについていけずに下位で襷を渡した。その後は、流れを引き寄せられず大きく順位を上げることができずに38位となった。男女とも当初掲げた8位入賞以内という目標には遠く及ばなかった。来年、新チームで雪辱を果たす。
■女子 21.0975km 5区間 山梨学院高 1:10:08 18位
第1区 小笠原朱里(3年) 6km (西京極陸上競技場~平野神社前)
第2区 伊藤 夢 (2年) 4.0975km (平野神社前~烏丸鞍馬口)
第3区 渡辺萌梨 (1年) 3km (烏丸鞍馬口~室町小学校前折り返し~北大路船岡山)
第4区 眞田ひまり(3年) 3km (北大路船岡山~西大路下立売)
第5区 米原千尋 (2年) 5km (西大路下立売~西京極陸上競技場)
午前10時20分、気温約10度。雲が多いながらも時折、穏やかな陽が差す京都・西京極陸上競技場。女子のスタートの号砲が鳴った。全国都道府県47校と女子30回記念大会の地区代表校の11校を加えた58校の選手たちの5区間の戦いが始まった。山梨学院高の1区は県大会、関東大会と同様、小笠原朱里(3年)がレースの流れを作るべく3年連続で任された。レースは、2km付近で抜け出した長崎商高と地区代表の光ヶ丘女子高の2チームが抜け出し、小笠原らは、第2集団に付いた。小笠原朱里選手は「付いて行こうという気持ちはあったんですけど、今までの感じだと最後の坂で落ちてしまうというパターンだったので今回は我慢しよう」と。しかし、長崎商の選手はそのまま独走で繋ぎ、もう1チームは落ちると踏んだが「拾えなかった」と悔しがった。「このコースは1年生の時から都大路、全国都道府県で走っているのですけど、毎回上手くいかないので難しいコースだと感じます」と振り返った。今回も昨年同様、5位で襷を繋ぐも会心のレースとはいかず納得はしていない。2区には関東大会で素晴らしいデッドヒートで接戦を制した伊藤夢(2年)が2年連続で起用された。2区は、留学生やエース級が揃い、登りに続く急激な下り、後半はカーブの連続と難しい区間。伊藤は、調子が上がらず順位を15位まで落としレースの流れを作れなかった。現地入りしてから体調を崩したという伊藤夢選手は「いつもより進んでいるという感じがしなかったです。去年よりはコース取りとかもしているので上手くできたと思うのですけど、後半一気に足が動かなくなった気がしたので、もっと気持ちで行ければよかった」と話し、「次は目標となる朱里先輩のようになれるくらいに頑張って追いつきたい」とチームの中心との自覚を示した。3区の渡辺萌梨(1年)は19位と順位を落とすも「緊張はしたんですけど楽しめました。付き添いの先輩方がリラックスさせてくれたので落ち着いてスタートすることができ、最後まで粘ることを意識して走りました。県と関東は怪我で走れなかったので全国に懸ける思いはすごくあったので出場でき、いい経験になりました」と初々しく話した。
いつもは中距離を任される区間から4区のスピード区間を託された眞田ひまり主将(3年)は「主に2区を試走していて、前々日に言われました。3000のトラックでも結構いけているのでそれを目標にベストで行ければ自分がこの区間で少しでも前を抜いて見せると思って走りました」と話し、順位を16位に上げ個人でも15位と健闘した。最終5区には米原千尋(2年)が抜擢された。「初めての全国ということで緊張した部分もあったのですけど、自分が思っていたタイムでは走ることができなかったですけど今の力は出せたと思います」。アンカーについては「まさか自分が、と思って不安もあったんですけど皆が背中を押してくれたので自信を持っていこうと思いました」と順位は落としたものの、これからの活躍に期待を持たせた。
レース後、乗末達也監督は「2区がポイントだったですけど、そこでもう少しタイムが出てほしかったです。つまずいてしまい流れが悪くなってしまいました。怪我等でなかなかコンディションも難しい中でやっていたので、その中でも粘って走ってくれた」と選手を労った。
■男子 42.195km 7区間 山梨学院高 2:11:00 38位
第1区 橘田大河(3年) 10km (西京極陸上競技場~烏丸鞍馬口)
第2区 平松幸記(3年) 3km (烏丸鞍馬口~丸太町河原町)
第3区 加藤聡太(2年) 8.1075km (丸太町河原町~国際会館前)
第4区 漆畑徳輝(2年) 8.0875km (国際会館前~丸太町寺町)
第5区 鈴木優允(3年) 3km (丸太町寺町~烏丸紫明)
第6区 安東竜平(3年) 5km (烏丸紫明~西大路下立売)
第7区 清水陽斗(3年) 5km (西大路下立売~西京極陸上競技場)
12時30分、雲が低く垂れこめ雨が心配になったが気温14度はこの時期としては温かい。都道府県代表47校の男子が同時にスタートした。山梨学院は、1区の最長区間を走る橘田大河主将(3年)は、11月の記録会では好タイムを記録し好調が伝えられた。エースの飯澤千翔(3年)が国体の前に痛めた足の故障が思わしくなく走れない状況の中、レースの流れを左右される1区の大役を任された。3km付近まで先頭集団に付き快調な走りを見せていたが、一気に集団から遅れ始めた。橘田大河主将は「自分がキャプテンとして流れを作らなければいけなかったのですが、後ろの人たちには申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分の中では調子は悪くないと思っていたんですが、焦りとか自分の中でしっかり整理ができていなくて、その気持ちが走りに出てしまって最初から一人でじたばたしているようで雰囲気に飲まれている感じでした」と都大路のプレッシャーに負けた。43位と思いがけない順位で襷を受け取った2区の平松幸記選手(3年)は「1区の大河のためにも少しでも順位を上げてやろうと思ったのですけど、思いのほか集団が離れていて対応ができませんでした。突っ込みすぎないように最初は余裕を持っていこうと思ったんですけど、最後まで粘れないで終わってしまいました。3年生として順位を挙げたかったんですけど2年生に重い感じで襷を渡してしまいました」と悔やんだ。飯澤の後継と目される3区加藤聡太選手(2年)。45位で襷を受け継ぐ。「もう少し上の順位で来ると思っていたので45位は、結構焦ったんですけど前を一人ずつ抜いていこうという気持ちで走りました。でも後ろの順位で気持ちを落ち着かせるのが難しかった」と複雑な胸の内を明かしたがそれでも41位に押し上げた。安定した走りで次代を期待される4区の漆畑徳輝(2年)は「聡太が順位を上げてきたのでそれに続いて自分も少しでも上げて、1秒でも速く襷を繋げるように頑張りました」と7つ順位を上げ38位とし、個人順位を23位とした。「下り区間でもう少し出せると思ったんですけど、下りから平地に変わるところで思い切りペースが落ちてしまいました。走り込み不足」と納得はしていない。
厳しい戦いを続ける中で少しでも上に。純粋に選手たちはチームのため、自身のために思いをぶつける。5区鈴木優允(3年)は「最初で最後の高校駅伝。いろいろ病気などで調子が上がらない中で意識して毎日練習に取り組んでここまでこれてとてもうれしいです。結果としてはチームとしても個人としても良くはなかったですけど3年生のほとんどが走れて良かったです」と話した。6区安東竜平選手(3年)は、「前の2年生二人が順位を上げてきたので、良い流れに乗っていこうと思ったんですけど、3キロの登りまでが結構きつくて、下ってから上げようと思ったのですけど、自分のリズムが作れずに下りだったのにペースが落ちてしまい1つ順位を落としてしまい練習不足と強気感じました」と反省を口にする。「3年で初めての都大路でしたが出ただけという感じになってしまいました。自分は大学でも続けるのでしっかり目標を持って上を目指したいです」と結果がこれからのやる気の糧となる。
最終区の7区を走った清水陽斗選手(3年)は、関東大会でもアンカーを担った。「3年生として最後の大会となるので自分が今までやってきたことをすべて出し切れるように走りました。前と離れていて自分一人で走る状況だったですけど、もう少し抜きたかった」。1人を抜き、最後まで諦めずに必死の形相でゴールを駆け抜けた。最終順位は38位と目標には遠かったが個人順位は23位とまとめた。
乗末達也監督は「1区はちょっと力不足かなと思っていましたけど、だいぶハイペースな展開でしたのでそこに付いて行くのは難しかったのかなと思います。43番スタートから挽回するのは難しいレースでした。できれば30番台前半で持っていきたかったですけど。狙い通りの8キロ区間のところは区間20数番ではあったですけど、その後の区間で力不足のところもあって挽回できずにそのまま終わってしまいました」と話した。選手の底上げが喫緊の課題となる
文(K.F)カメラ(平川大雪・藤原稔・今村佳正・小池裕太)
2018.12.23
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全国高校駅伝・山梨学院高校応援団 ~仲間の力走を熱い声援で後押し~ |
全国高校駅伝のスタート・ゴール地点となった京都市・西京極陸上競技場のバックスタンドでは、山梨学院高校の生徒や教職員、PTA役員およそ120人が師走の都大路を駆け抜ける選手たちに熱い声援を送った。生徒会、吹奏楽部、チアリーダー部、応援団、PTA役員などは大会前日に山梨からバスで京都に入った。今年度の全国大会の応援は、全国高校野球選手権での甲子園のアルプススタンドに次いで2大会目。京都市内は、朝方は雨の影響で冷え込んだものの、日中は太陽も顔を覗かせ、例年にない暖かな気候となった。応援団は競技場から市内の中継所に移動する選手の名前をコールし、仲間を鼓舞。選手も手を振るなどこれに応え、健闘を誓った。男女のスタート時間が近づくと応援にも熱が入り、スタート直後は割れんばかりの歓声を送り、仲間の力走を応援の力で後押しし、京都市街へ送り出した。沿道では、生徒会役員やPTA役員などが西大路通や堀川通、烏丸通などに分散し、都大路を疾走する選手たちに声援を送った。バックスタンドでも市内を走っている選手たちに思いが届くように応援を続け、男女のアンカー選手が競技場内に入ると応援の熱はヒートアップ。さらに力のこもった応援を行い、最後の選手がゴールするまで応援を続けた。ゴール後は全選手をたたえ、また、優勝校を祝福し、応援団同士で互いの健闘をたたえたった。終了後には、バックスタンドで報告会が行われ、走り終わった選手らがスタンドを訪れ、気持ちのこもった応援に感謝の意を伝えた。
この日で応援団を引退となる小野成美副団長(3年)は「野球やサッカーの全国応援を経験して、きょうは一緒に頑張った団長は不在ですが、団長の分も選手の努力が無駄にならないように応援しました。また、最後の応援となるので、悔いの残らないように応援しました。みんな楽しく一体の応援ができ、3年間やりきった気持ちです」と感想を語り、「後輩には、試合の結果は関係なく、選手を応援する気持ちは変わらないので、最後まで諦めずに応援をして欲しいです」と言葉を結んだ。小野副団長の傍らに立ち、サポートした平山夏生新団長(2年)は女子のスタート前「同じ学校で学ぶ仲間として全校を代表して応援したいです。寒いので声をしっかりと出し、先輩も最後なのでその姿を見て学びたいです」と語り、全ての応援が終わり「久しぶりに型をやらせてもらい、未熟で上手くできない部分があったことが反省点です。先輩は憧れの存在で、最後の勇姿を見られて、この思いを今後に活かしたいです。まずは、自分の型を完璧にして、副団長と一緒にみんなが一体となって楽しめる応援をしたいです」と今後を見据えた。また、音楽で応援を盛り立てた吹奏楽部の坂井さつき部長(2年)は「選手に良い記録を出してもらえるよう精一杯応援しました。目の前を走る選手はもちろん、沿道を走る選手にも思いが届くように演奏しました。最初は環境に慣れなくて、テンポが合いませんでしたが、段々テンションも上がり、良い演奏ができました。秋の大会(野球の関東大会)や今回の大会で強豪校の演奏を聞けて、色々参考になり、良いところを自分たちの部活にも反映させ、今までよりも良い応援ができるようになりたいです」と述べた。一方、応援に活力を与えたチアリーダー部の大澤真珠部長(2年)は部長として初めての全国大会を振り返り「選手に頑張ってもらうために一人一人が大きい声と笑顔が出るように演技しました。午前中は寒い時間もありましたが、しっかりできていたと思います。こういった全国大会は他校の声の出し方や振り付けなど参考になり、とても勉強になりました。選手からは、最後まで一生懸命走る姿に勇気や感動をもらい、自分たちももっと頑張らないといけないなと思いました。こらからも選手が全力を出せるよう一試合一試合、笑顔で気持ちを込めて応援したいです」と話した。
山梨学院高校応援団(生徒会・応援団・吹奏楽部・チアリーダー部)の今年度の全国応援は都大路で終演した。一方で、今秋の関東大会で野球部がベスト4に入り、来春のセンバツ出場の可能性を秘めている。全国大会で応援できる機会は限られており、山学高応援団は野球部員とともに、1月25日のセンバツ出場校決定の吉報を待つ。この日の熱い応援をアルプススタンドでもう一度・・・。
文・カメラ(Y.Y)2018.12.23
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