山梨学院パブリシティセンター

HOME

山梨学院パブリシティセンターニュースファイルイメージ画像

●第二十一回酒折連歌賞表彰式
~文部科学大臣賞一般河﨑さんアルテア花輪さん~
~想定している答えの片歌を裏切ってくる楽しさ~

言の葉連ねて歌遊びの酒折連歌賞実行委員会 (廣瀬孝嘉実行委員長)は2月15日、山梨学院大学で第二十一回酒折連歌賞表彰式を行った。古屋忠彦酒折連歌代表から、一般部門応募42,029作品の頂点に立つ大賞となった文部科学大臣賞の河﨑七海さん(18歳)及び中学生から高校生対象の応募28,730作品のアルテア部門大賞となった文部科学大臣賞のアルテア部門大賞の花輪美月さん(13歳)に、大賞の賞状と文部科学大臣賞の賞状と文部科学大臣杯が授与されるとともに、後援団体の代表から各賞が授与された。また、山梨県知事賞の関智弘さん(42歳)、山梨県教育委員会教育長賞の藤中希叶さん(14歳)、甲府市長賞に村尾恒美さん(86歳)には賞状と盾が授与された。三枝昂之選考委員長は「大賞は、『まっていろ』このテンポの良さがとても見事だった。また、メロスではなくてセリヌンティウスが返ってきた。酒折連歌には、こちらが想定している答えの片歌を裏切ってくる楽しさがある」と講評した。受賞者は受賞のことばを述べ記念撮影を行った。その後、辻村深月選考委員と連歌発祥の地・酒折宮を散策し、思い思いに悠久の風を肌で感じ宮を後にした。

【表彰式】
▶︎表彰式は言の葉連ねて歌遊びの酒折連歌賞実行委員会 (廣瀬孝嘉実行委員長)は2月1日、山梨学院大学内の山梨学院広報スタジオで第二十一回酒折連歌賞表彰式を行った。
《主催者代表挨拶》
古屋忠彦酒折連歌代表は「受賞者の皆様おめでとうございます。この酒折連歌賞は平成10年に創設され、文部科学省・山梨県・甲府市・報道各社などに後援いただき21回目の表彰式になります。酒折連歌賞には新元号になっても全国から万という単位で句をお寄せいたただき誇らしく思いますが、選考委員の先生方には大変な選となり恐縮しております。故郷山梨が『連歌の発祥の地』であることから大学が中心となって地域メセナを展開し、文部科学大臣賞を始め報道各社の社賞などで栄誉ある文学賞となりました。今日はその表彰式です。心よりお祝い申し上げます」と挨拶。
《受賞者発表》
廣瀬孝嘉実行委員長から「一般部門 大賞 文部科学大臣賞及び後援団体賞には、『靴ひもをきつく縛って歩きはじめる』の問いにつけて、『まっていろセリヌンティウス必ず行くから』とお詠みになった河﨑七海さん(18歳 山梨県)の作品が選ばれました。山梨県知事賞には、『小鳥用ひまわりの種にも賞味期限』の問いにつけて、『太陽に頭を垂れて謝罪会見』とお詠みになった関 智弘(42歳 群馬県)の作品が選ばれました。山梨県教育委員会教育長賞には、『AIもスマートフォンもああ届かない』の問いにつけて、『だからこそ糸電話がねあるんじゃないか』とお詠みになった藤中 希叶(14歳 山口県)の作品が選ばれました。甲府市長賞には、『椅子一つだれもいないのにだれかの匂い』の問いにつけて、『じいちゃんはエッシャーの絵の中に入ったよ』とお詠みになった村尾 恒美(86歳 秋田県)の作品が選ばれました。アルテア部 大賞 文部科学大臣賞には『えんぴつが線路をえがくどこか遠くへ』の問いにつけて、『届くかな未来の僕へ「お元気ですか」』とお詠みになった花輪美月さん(13歳 山梨県)の作品が選ばれました」と発表と紹介がされると、その都度、受賞者に盛大な祝福の拍手が寄せられた。
[第二十一回〈1酒折連歌賞100選〉]

《表彰状授与》
▷古屋忠彦酒折連歌代表から、一般部門の文部科学大臣賞の河﨑七海さんさんに、大賞の賞状と文部科学大臣賞の賞状と文部科学大臣杯が授与されるとともに、後援団体の代表から山梨日日新聞社賞・読売新聞社賞・朝日新聞社賞産経新聞社賞・毎日新聞社賞・山梨新報社賞・山梨放送賞・テレビ山梨賞の賞状と副賞が授与された。また、山梨県知事賞の関智弘さん、山梨県教育委員会教育長賞の藤中希叶さん、甲府市長賞に村尾恒美さんには賞状と盾が授与された。引き続き、中学生から高校生対象のアルテア部門大賞の花輪美月さんに古屋忠彦酒折連歌代表から、大賞の賞状と文部科学大臣賞の賞状と文部科学大臣杯が授与されるとともに、後援団体の代表から山梨日日新聞社賞・読売新聞社賞・朝日新聞社賞産経新聞社賞・毎日新聞社賞・山梨新報社賞・山梨放送賞・テレビ山梨賞の賞状と副賞が授与された。

《 講 評 》
三枝昂之選考委員長は「受賞の皆さんおめでとうございます。若い受賞者の姿を見て感激しました。これは短歌では60代70代のパワー中心で推移しておりかなり珍しい光景。古い片歌の問答が新しい人たちに受け継がれことが、文化には大切で尊い、受賞者の皆様に感謝したい。実は、この選考は大変です。私のところに大きな段ボール箱が4箱届いた。苦しい選考だが楽しい選考でもある。宇田先生の俳句や辻村先生の小説もそうだと思うが、私の短歌も誰かがどんな反応をしてくれるか見えないが、酒折連歌は問いの片歌を投げかけると1万以上の反応が答えの片歌として返ってくる。私の問いの片歌の『AIもスマートフォンもああ届かない』に、びっくりした、糸電話が返ってきた。AIは相手が見えないが糸電話は相手がすぐそばで見れる。AIに両極端な1番遠い糸電話が返ってきた。大賞は、『まっていろ』このテンポの良さがとても見事だった。また、メロスではなくてセリヌンティウスが返ってきた。酒折連歌には、こちらが想定している答えの片歌を裏切ってくる楽しさがある。また、コミュニケーションが様々なエネルギーが4万句のスケールで広がっていく醍醐味がある。今も片歌の問答という日本の詩歌の原点にあるメモリーが今日まで生きている。皆さんは問答を通じて得た言葉で表現する楽しさを、同時に短歌や俳句や小説などいろんな形にしてみてください」と講評した。
[第二十一回酒折連歌賞〈総評・選評〉]

《受賞者のことば》
一般部門大賞の河﨑七海さんは「今回、このような賞をいただきありがとうございます。本当に嬉しく思っています。酒折連歌は高校の夏休みの課題として取り組み、問いの片歌の『靴ひもをきつく縛って』という言葉に、止まりたくない、前進し続けたいという強い意志をイメージしました。その意志のあるじが誰なのかを考えたとき、障害に阻まれ、立ち止まってしまっても、親友のために再び力強く踏み出すメロスの姿が頭に浮かび、その情景を答えの片歌に詠みました。短歌や俳句に比べると連歌は古典の教科書に出てくるものという難しいイメージがありましたが、今回参加させていただいたことで身近に感じられるようになりました。本日はありがとうござました」と述べた。
一般部門山梨県知事賞の関智弘さんは「本日、このような過分なる賞を賜り、関係者の皆様方に厚く御礼申し上げます。さて、『ひまわりの種の賞味期限』と問いかけられ、私が出した答えはありません。と申しますのは、考えれば考えるほど、どうすればいいのかということが分からなくなり、ただ私が思いつくのは、全てを育んでくれる太陽に頭を下げるということだけでした。今回、思いを巡らせたことによって連歌というものに大変興味を持ちました。これからも折に触れて親しんで行けたらと思います。結びに酒折連歌のますますのご発展を祈念いたしまして挨拶に返させていただきます」と述べた。
▷一般部門山梨県教育委員会教育長賞の藤中希叶さんは「このような歴史ある賞をただくことができて、とても嬉しいです。この句は友達にメールをしていた時に思い浮かびました。メールでは相手に本音が伝わらないことがあります。テレビ電話や携帯で話すこともできますが手を握ったり肩を組んだりできません。よく考えると私の周りはデジタルだらけだと気付きました。問いの句に『AIもスマートフォンもああ届かない』とあり、思いついたのが、小さい頃に使っていた糸電話です。糸電話は生の声で話しができ、直接相手を感じることもできます。人と人との心を結び付けることが大切なんだと思い、気持ちを込めて詠みました。この度は本当にありがとうございました」と述べた。
▷一般部門甲府市長賞に村尾恒美さんは欠席のため喜びのメッセージが「受賞の通知をいただいたときは、ただただ驚きでした。驚きの喜びは心をますます元気づけてくれます。新聞広告で、酒折連歌を知り自分にとっては全く新しいことでしたので、心をひかれました。『椅子一つだれもいないのにだれかの匂い』の問いの片歌を見たとき、暮らしは連続の中にあることを感じ、エッシャーの『昼と夜』『出会い』を思い出しました。この度は本当にありがとうございました」と披露された。
アルテア部門大賞の花輪美月さんは「今回の賞は本当に驚きましたがとても嬉しいです。ありがとうございました。学校の授業の取り組みで応募することになり、問いの片歌を見て、『えんぴつ』と『線路』の2つの単語から小学校を卒業するときにタイムカプセルに入れた手紙の書き出しに『お元気ですか』と書いたのを思い出して、片歌に詠んでみようと思いました。連歌作りに取り組むのは初めてだったのですが、問いの片歌に対し答えの片歌を考えているとき、未来の自分に声をかけているような気がして楽しい時間でした。本当にありがとうございました」と述べた。
▶︎表彰式終了後、受賞者は取材を受け、懇親会と集合写真撮影を行い、山梨学院大学が平成10年(1998年)に酒折連歌賞を創設し10周年に本文学賞の更なる発展を願い建立された『酒折連歌賞創設記念碑』の前で思い思いの記念撮影を行った。その後、辻村深月選考委員と連歌発祥の地・酒折宮を訪れ散策。希望者は飯田直樹宮司からご祈祷を受けるなど、思い思いに悠久の風を肌で感じ宮を後にした。

文(H.K) 、カメラ(平川大雪) 2020.2.16