●山学2020年度生涯学習講座遠隔スタート
~やまなし学研究2020『山梨の食の歴史』Zoomで開催~
~トラブルなく終了し安堵/終息し対面講義の開催を願う~
山梨学院生涯学習センターは5月13日、山梨学院50周年記念館生涯学習センター講義室で2020年度生涯学習講座をスタートした。担当の金丸茂夫主幹は「本年度一番開講が早い4月22日予定の講座『やまなし学研究2020~山梨の食の歴史~』の1回目『山梨の旧石器時代の食を考える』を、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため5月13日に順延していた。対面での講義を目指していたが、感染症対策のため残念し、今回はオンライン会議システムのZoomを使って遠隔で開講した」と明かす。本日、受講した井畔真人さん(71歳)さんはFaceTimeインタビューに応じ「4年前に横浜から山梨に移住し、山梨のことが知りたくてやまなし学研究を受講。PCとWi-Fiの環境があり遠隔講義の準備はZoomのアイコンの取得のみだった。山梨の遺跡に『食べかす』が出土することはないが、古生物研究などから食べ物の概略を推定できるとは驚いた。画像は良かったが音声がやや聞き取りずらかった。早く新コロナウイルス感染症が終息し対面講義での開催を願っている」と述べた。金丸主幹は「今回大きなトラブルもなく終わりほっとしている」と安堵の胸をなで下ろし、「7月22日までの前期は全てが遠隔講義となる。今日の反省点を生かし乗り切りたい」と大きく頷いた。
【経緯経過インタビュー】
▶︎担当の金丸茂夫主幹は「新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、本年度一番開講が早い4月22日予定の『やまなし学研究2020(前期コース全7回)~山梨の食の歴史~』の、1回目『山梨の旧石器時代の食を考える』を5月13日に順延していた。対面での講義を目指していたが、感染症対策のため残念し、今回はオンライン会議システム『Zoom』(ズーム)を使って遠隔で開講した」と明かす。「遠隔講義の準備は4月から行なってきたので、慌てることはなかった」と振り返る。「今年度は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、講義室での三密(密閉・密集・密接)の三要素を守るために受講生は40名に絞った。今回は対面講義にこだわり順延して、やむなくZoomに変更しての開催で受講生は半数強になった。7月22日までの前期は全てが遠隔講義となる」と説明。
【1回目『やまなし学研究2020~山梨の食の歴史~』遠隔講義】
▷山梨学院生涯学習センター 永井健夫センター長は「新型コロナウイルスの影響で、本来4月に始まるはずだった『やまなし学研究』だが、ようやく本日から始まる。オンラインという方法で、我々スタッフも、受講者の方々も、不慣れな環境だがよろしくお願いしたい。この講座は2004年度に始まり、本年で17年目。今年度は前期コースを『山梨の食の歴史』というテーマ、後期は『山梨の農業と食』というテーマで、それぞれ7回シリーズで実施する。本日から始まる『山梨の食の歴史』は、本日の講師であり、本学客員教授である保坂康夫先生が中心となって内容編成を企画していただいた。この前期コースは、古代以来の山梨においてどのような食文化が成り立ってきたのか、深く知ることができる機会になると思う」と挨拶。
▷進行のAGRI B&C SUPPORT 伴野正明氏から、本日の講師 保坂康夫 山梨学院大学客員教授が紹介された。
▷保坂康夫講師は「今日は、PowerPointで講義を進めます。テーマは山梨の旧石器時代の食を考えるです。1.旧石器時代とは、1)山梨の旧石器時代遺跡、2)日本列島の旧石器時代遺跡、3)700万年の人類の歴史と旧石器時代。2.旧石器時代の『食べ物』の探求、1)『食べかす』の研究、2)古生物研究などから食べ物の概略を推定する。3.食と社会 = 食事という視点から講義を行います。旧石器時代の人類の食べ物を探求することはとても難しい課題ですが、ここでは全体の研究現状から山梨の食について考えてみます。「何を食べていたか」はとても興味深いことですが、人間社会の文化としての「食事」が旧石器時代に始まっていたのかという視点も重要です。
1.旧石器時代とは
旧石器時代とは、人類最古の文化の狩猟・採集の時代です。人類史は700万年前から始まります。日本列島での人類の本格的な居住の痕跡は今のところ38000年前頃からです。世界各地で1万年前頃までに次の時代へと移行しますが、日本列島では土器が出現する16000年前頃までが旧石器時代とされます。
1)山梨の旧石器時代遺跡
日本列島には1万か所以上の旧石器時代遺跡が確認されていますが、山梨県内では40か所ほどが確認されています。しかしその内、石器づくりの工房跡などの本格的な 生活の痕跡が発掘されたのは10か所ほどです。県内最古の34000年前頃の遺跡として、北杜市の横針前久保(よこはりまえくぼ)遺跡、甲府市の立石(たていし)遺跡(1989年調査)、都留市の一杯窪(いっぱいくぼ)遺跡。31000年前頃では、笛吹市物見遺塚(ものみづか)遺跡、甲府市立石遺跡(1980年調査)。24000~22000年前頃では、南部町天神堂(てんじんどう)遺跡、権現堂(ごんげんどう)遺跡、北杜市丘の公園(おかのこうえん)第2遺跡、笛吹市釈迦堂遺跡群塚越北A地区(しゃかどういせ きぐんつかごしきた)。22000~20000年前頃の遺跡としては、北杜市丘の公園第1遺跡があります。
2)日本列島の旧石器時代遺跡
日本列島最古の遺跡として長野県竹佐仲原(たけさなかはら)遺跡、石子原(いしこばら)遺跡、宮崎県後牟田(うしろむた)遺跡、岩手県金取(かなどり)遺跡があげられます。いずれも石器は疑いありませんが、年代が確定できていません。5万年以前には遡らないだろうという見方があります。38000年前頃以降の遺跡は、九州から東北ま での地域で爆発的に増加するので、この頃、現生人類(ホモ・サピエンス)が日本列島に移住してきたと考えられています。
3)700 万年の人類の歴史と旧石器時代
人類とは常時二足歩行して生活するサルですが、最初の人類が出現したのが 700万年前のアフリカ大陸です。現在までに20種以上の人類が現れました。250万年前頃には石器を使い始めますが、それまで森の果実などを主食としてきたのが、この頃に肉食を始めたとされます。
2.旧石器時代の「食べ物」の探求
人類の「食べ物」自体は遺跡に残っていません。どのように推定するかというと、まずは遺跡で人類が食べ残した「食べかす」を探します。
1)「食べかす」の研究
日本では、長野県の野尻湖湖底遺跡でナウマンゾウやオオツノシカなどの化石が多量に発掘されていますが、年代が5~4万年前と古く、ホモ・サピエンスが狩猟したものか論議があります。35000~16000年前とされる岩手県花泉遺跡では、バイソン、ヘラジカ、オオツノジカ、ナウマンゾウが多量に出土し骨角器も見られますが、石器が出土しおらず、人類とのかかわりがいまひとつはっきりしません。一方、沖縄県サキタリ洞遺跡では2万年前の地層からモクズガニの爪、カワニナ、カタツムリが大量に出土し、オオウナギの骨も出土しています。石器がありませんが海産の二枚貝を使ったナイフや釣り針があり、人骨も出土しています。しかし、山梨の遺跡を含め、日本列島の石器が出土している遺跡から、「食べかす」である動物の骨や植物の実などが出土することはほとんどありません。
2)古生物研究などから食べ物の概略を推定する
古生物研究の成果から、旧石器時代に生息していた動物ついては、南方から36万年前に日本列島に移動してきたナウマンゾウや、オオツノシカ、ウマ、オオカミ、イノシシなどがあげられます。北海道では45000年前から北方から来たマンモスゾウが生息し、バイソン、トナカイ、ウマが一緒にいました。しかし、いずれも2万~1万年前の間に、シカ、イノシシ、オオカミ以外が絶滅してしまいました。植物では寒冷な気候で生育する生食可能なものとして、チョウセンゴヨウマツ、ハジバミ、クルミなどの堅果類、キイチゴなどのベリー類があげられています。山梨の旧石器時代遺跡でも、食べ物の内容はこうした動植物だったでしょう。
3.食と社会=食事という視点
人類は積極的に食物を分配しますが、相手に食物を直接手渡すような分配行為は、他の霊長類にはない行動です。霊長類学者はこうした食物分配が数百万年前のアフリカの初期人類から開始され、これが最初の食物革命であり、このことがやがて脳を大きくして、社会性を高める方向へと進化を後押ししたのだといいます。また、食物分配を基盤に、400万年前頃までには「家族」が形成されたと考えられています。さらに、人類は食べ物を囲んでみんなで一緒に食べる「食事」をします。家族で食事をする風景は、この時からあったものと考えられます。さらに、250万年前には石器が出現します。これは肉を切ったり骨から切り離したりする道具だったとされます。それまで果物など植物性食物を主に食べていましたが、この頃から肉食を開始したとされます。霊長類学者はこれを第二の食物革命としています。私は、石器は弱者の肉食をサポートするために生み出されたと考えています。初期ホモ属がユーラシア大陸に進出して初めて残した最古の遺跡とされる177万年前のジョージアのドマニシ遺跡では、歯が全部抜け落ちてしまった40歳ほどの老人が生き抜いていたことが確認されました。食物を砕いて与えるなど、介護されていたと考えられています。介護の例はこのほかにも確認されており、人類社会は最初から食事の介助を行う福祉社会だったのです。ところで人類は、食事の時に食卓を飾り付けたり、飲食しながら心を高揚させて交流する「宴(うたげ)」といった祭儀にまで「食事」を拡大させます。私は、日本列島に移住してきたホモ・サピエンスは最初からこの「宴」を催していたと考えています。礫群(れきぐん)という遺構がその証拠です。礫群は焼け礫で石蒸し焼き調理をした跡で、蒸し焼きにした食べ物を、参集した人々と分け合い、温かいうちに食べる宴だったと考えています。何十キロもの巨大な礫群があり、多量の食物調理をおこなった大規模なものも当初から見られます。一方、礫群がなく宴をやっていない遺跡も一般的にあります。24000年前の南関東では、大規模礫群がある遺跡が集まる地域と、礫群のない遺跡が集まる地域とが別々にあります。移動生活をしている旧石器時代人は両地域を季節的に行き来して、礫群で宴を行う季節と礫群を使わない季節という、対局した二つの季節性をもった社会生活をおくっていたと考えられます。民俗学者の伊藤寛治さんは『宴の日本文化-比較民族学的アプローチ-』(中公新書、1984年)という著書の中で、高揚した心の触れあいである飲食を伴う祭儀である宴は、人類社会に普遍的に見いだされるものだとしています。そして、現在の狩猟・採集民の社会生活では、雨季と乾季や夏と冬といった二つの季節に対応して、一年の周期が宴のある季節と宴のない季節とに二分化されているとしています。これは、オーストラリアの先住民族アボリジニや北アメリカのイヌイット、ネイティブ・アメリカンといった狩猟・採集民の社会に実際に見いだされています。私は、これと同じ社会生活が関東地域の旧石器時代人の社会に見出せると考えています。山梨では、礫群が確認された遺跡として丘の公園第2遺跡と天神堂遺跡があります。当時は、黒曜石原産地の長野県の和田峠周辺や北八ヶ岳と、旧石器時代人の大規模な居住地である愛鷹山南麓や武蔵野・相模野台地、北関東との間を行き交う遊動生活が展開されていました。山梨の二つの遺跡は、その移動の過程で旧石器時代人が立ち寄り、遺跡周辺の動物を狩猟して、しばらくとどまって生活した居住地です。両遺跡の礫群は、そこで複数の家族が集まり、宴を行った痕跡だろうと考えています」と講義を終了した。
【遠隔講義終了後インタビュー】
▶︎Zoomで遠隔受講した井畔(いぐろ)真人さん(71歳)はFaceTimeでインタビューに応じ「4年前に横浜から山梨に移住し、山梨のことが知りたくてやまなし学研究を受講。PCとWi-Fiの環境があり遠隔講義の準備はZoomのアイコンの取得のみだった。山梨の旧石器時代遺跡が40か所ほどがあり、生活の痕跡が発掘されたのは10か所ほどで、山梨の遺跡は火山灰地で『食べかす』の骨などが出土することはないが、古生物研究などから狩猟や採集でシカやイノシなど、植物ではチョウセンゴヨウマツ、ハジバミ、クルミなどの堅果類、キイチゴなどのベリー類があげられることなど、食べ物の概略を推定できるとは驚いた。また山梨では、礫群(れきぐん)が確認された遺跡として丘の公園第2遺跡と天神堂遺跡があり、家族が食事をしたり宴を行っていたことにも驚いた。画像は良かったが音声がやや聞き取りずらかった。早く新型コロナウイルス感染症が終息し対面講義での開催を願っている」と述べた。
▶︎講師の保坂康夫 山梨学院大学客員教授は「新コロナウイルス感染拡大の状況下でオンライン講義はやむを得ないと思う」と頷いた。「オンライン講義は初めてだったが、タイムキーパーを見ながスムーズに講義が行えた。これはこれで良さはある」と、しかし「対面講義では反応の良いところは熱く話してたり、受講生の眼差しや熱気で講義の減り張りが出て高揚するが、そうしたダイナミックさは薄れる」と実感した。「皆さんは旧石器時代は『猿のような生活ではないか』と抱いていると思うが、現在人と心が通じ合うぐらいに考え方は一緒で、家族と生活し食べ物も豊かだった。その証に礫群は焼け礫で石蒸し焼き調理をし、言葉はないとしても家族の食事や宴で豊かなコミュニケーションの場があった。山梨では、丘の公園第2遺跡と天神堂遺跡にがありる。そう言う事を皆さに知って欲しかった。ロシアでは2万数千年前にマンモスの牙を加工して何万個も付けて作った上着と毛皮のズボンや靴も履いていたミイラが発見された。また、何家族も住んで豊かな生活があったという調査結果もある。既に700万年前に我々の生活のベースがあったということを知って欲しかった」と述べ会場を後にした。
▶︎担当の生涯学習センター 金丸茂夫主幹は「今回大きなトラブルもなく終わりほっとしている」と安堵の胸をなで下ろし、「前期は全てが遠隔講義となる。今日の反省点を生かし満足のいく講座としたい」と大きく頷いた。「今後の『やまなし学研究』の予定は、5月20日(水) 身延山大学非常勤講師 長澤 宏昌講師 『山梨の縄文時代の酒造りと食』、5月27日(水) 北杜市教育委員会学術課長 『佐野 隆講師 縄文時代八ヶ岳山麓の主食と副食』、6月10日(水) 南アルプス市ふるさと文化伝承館館長 中山 誠二講師『弥生時代の農業と食~日本食のルーツを探る~』、6月24日(水) 帝京大学文化財研究所准教授 植月 学講師『出土動物骨からみた山梨の食べ物』、7月8日(水) 帝京大学文化財研究所研究員/第3研究室長 平野 修講師『古代甲斐国の塩』、7月22日(水) 帝京大学文化財研究所研究員 数野 雅彦講師『近世甲斐国の食文化』となっている」と述べた。
文(H.K)、カメラ(平川大雪) 2020.5.13