山梨学院パブリシティセンター

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●山学箱根予選に向け第2次合宿も順調(下)
~標高1,640m霧ヶ峰陸上競技場ポイント練習~
~監督「チームは例年にない順調な仕上がり」~

山梨学院大学陸上競技部駅伝は8月22日、標高1,640mの霧ヶ峰陸上競技場で第2次合宿のポイント練習を行なった。田畑昌寛主務が「今日はAチーム9人、Bチーム9人に分かれ、このトラック1周400mで400m×3本を5セットを行う」と説明。飯島理彰監督が選手に「これまで距離走とかロングジョグ練習を行なってきた。今日はレースペースの動きを呼び起こすことを目的にインターバル走を行うが、ラスト1本は設定タイムではなく、思い思いの走りをすること」と指示をする。田畑主務と高瀬智マネージャーとがストップウォッチを片手にその都度A・Bに合図を出す。監督が「明日、30キロ走があるよ。乳酸をためないように、頑張りすぎないように」と喚起する。「A、ラスト」「B、ラスト」と15本目の声が掛かると集団走が突然くずれる。総括で「みんな設定通りによく走れた。ただ9人走で何人か足が接触していた。箱根駅伝の予選会のことを考えると12人×30チームで360人が一斉に走る。ポジション取りが大切になる」と諭した。終了後に監督が「箱根予選会に向けてチームは例年にない順調な仕上がりを見せている」と笑顔で述べた。
 
【Aチーム・Bチームポイント練習】
飯島理彰監督が選手に「これまで距離走とかロングジョグ練習を行なってきた。今日はレースペースの動きを呼び起こすことを目的にインターバル走を行うが、ラスト1本は設定タイムではなく、思い思いの走りをすること」と指示。Aチーム・Bチームの選手がフィールドでストレッチのあとに、トラックでジョグと流しを行いウオーミングアップを入念に行っている。11時30分、田畑昌寛主務がストップウォッチを片手に「位置について、1本目いきます」と促す。A・Bの選手がスタンディングスタートの姿勢を取る。スタートの合図でA・Bそれぞれが集団走でスタートしていく。飯島理彰監督が「フォームを確りチェックして」と喚起する。A・Bともに疾走区間を快調に走る。間をジョグでつなぐインターバルではA・Bともに走る速度が落ちる。田畑主務と高瀬智マネージャーの「2本目行きます。A、1、2、3スタート。B、1、2、3スタート」の掛け声で、A・Bそれぞれの速度が上がる。田畑主務の「A、ラスト」「B、ラスト」と15本目の声が高原にかんだかく響く。A・Bともにスピードを上げる。監督が「明日、30キロ走があるよ。自重して」と声を掛ける。監督が「筋肉内に乳酸が蓄積されないように急に止まらない」と注意を促す中で、選手たちはクーリングダウンとして軽いジョグで身体をほぐしポイント練習が終了した。
 
【練習後のインタビュー】
長い距離を積んで長距離に挑戦しチャンスを狙う新本駿(1年)︎は「小・中と野球部だったが中3のとき体育の授業で冬に行われた持久走の結果、陸上部の先生からレースに出てみないかと誘われ出場したところ成績が良かったので、報徳高校の監督さんから声を掛けていただいて高校から駅伝競技部に入り本格的に始めた」と明かす。「入学当時は自分より速い選手ばかりだった。報徳のルールで学校から家が近い者は走って帰る。自分も約3キロ走って帰った。とにかく同級生に勝つために、監督に決められたメニューだけではなくて、家に帰ってからは自分でメニューを考えて体幹がぶれないように補強した。学年とともに走りを1キロ増やしたり補強内容をさらに強化した。自分なりに必死に努力して1年生からレギュラーとなった」と自己管理能力に秀でている。「山梨学院大に進学を考えたのは、2018年のジャカルタ・アジア大会で、32年ぶりに男子マラソンの金メダルを獲得した井上大仁選手(MHPS)の終盤の外国人選手とデッドヒートしているのを見て、どこの大学か調べたら山梨学院大卒だったので入学を決めた。2020年7月青森・春季ディスタンス記録会5,000mで14分02秒460をマークして、自己ベストを約20秒縮めることができた。この合宿で確り長い距離を積んで長距離に挑戦してチャンスがあれば、まずは箱根駅伝予選会に出てチームに貢献したい」と淡々と述べた。
33年の伝統を自分の脚で復活させると燃える坪井海門(3年)︎は「陸上に小学校4年から興味を持った。自分は小さい頃から走るのが好きで長い距離は周りの人より速かったので、2012年のロンドンオリンピックを見て走るのはいいな」と思い長距離を始めた。「中学1年から3年まで市の大会に出場していた。高校は宮城県の明成高校から誘いがあったので入学して陸上競技部に入部した。2年生の東北駅伝で飯島コーチ(現 監督)に声を掛けられたのを切っ掛けに山梨学院に入学した」と振り返る。「大学1年のときは箱根駅伝予選会のメンバーに入れたが補員となった。2年のときは予選会に出たが4分ぐらい遅かった。その原因は山梨学院の先輩たちが築いてきた33年連続出場記録をなにがなんでもストップさせてはいけないと日増しにプレッシャーが重くのしかかってきて」過剰に緊張してしまった。いざ「予選会では最初は体が軽くて動いて、今日は調子が良いと思って走行していると、応援する人の数やその応援する人との距離が近いので、再び緊張して体が動かなくなった。その結果、想定より4分遅くゴールし悔いが残るレース」となった。「今年は精神力と競技力向上に努めており昨年に比べて合宿での練習も積めている。今年は昨年の経験を生かして33年の伝統を途切れさせてしまった予選会を攻略して、本戦では最低設定タイム以上をクリアしシード権を奪取したい。33年の伝統を自分の脚で復活させたい」とリベンジに燃える。
恩師や両親への恩返しを原動力にメンバー目指す遠藤悠紀(4年)︎は「小学校からサッカー部で中学時代に兵庫県郡市区対抗駅伝競走大会に出たのも切っ掛けの一つとなり中学3年でサッカーを辞めて、校長先生が県の陸連の役員だったので練習メニューを作成していただき1人で練習していた」と振り返る。「高校は報徳の陸上競技部に入り平山征志監督に走ること以前に礼儀や元気で規則正しい生活を送ることを厳しく指導を受けた。それが今、生きている」と感謝する。報徳では「2年次から駅伝メンバーに絡めて、3年には3区を任され」活躍した。「兵庫県リレーカーニバルで上田監督と大﨑悟史コーチに声を掛けられたのが切っ掛けで山梨学院大学に進学した」と微笑む。大学でも「指導者にも恵まれ山梨学院の陸上競技場やすぐそばに山もあるので練習環境も最高」と頷く。ただ「大学1年から3年まで箱根などのメジャーな大会に出ていない。今年は怪我もなく1番走れているので怪我に注意しながら練習を積み、実績を残してメンバーに選出されるようにしたい」と頷く。「箱根路を走り今までお世話になった中学生の校長先生や平山監督、両親に恩を返したい。またそれを原動力にして、最終学年なのでチームが箱根に戻れるように予選会で出場権をとり、本戦でシード権を獲得して後輩に手渡して卒業したい」と抱負を述べた。
『All For Win』心を一つに力以上を演出する田畑昌寛(4年)︎は「マネージャーは全員で6人。マーネジャーをまとめる主務1名、主務を補佐または代行する副主務1名、そしてマーネジャー4名で構成されている」と説明。マネージャーの仕事は「競技と寮生活の両面で103名の選手(うち寮生79名)をサポートすること」と頷く。「今日は高瀬智(2年)のマネージャーとタイムとりで選手と監督をサポートした。監督、コーチはこれにより選手の動きに注視でき、選手はフォームのチェックや走ることに専念できるので重要な仕事」。また、「大会出場のための予定行動表の作成。時には故障者が出たときは監督と選手とを取り持ち復帰プログラムをサポーする」と明かす。主務として「究極的には『All For Win』心を一つにしてチームが一つになり、選手が持っている力以上を引き出せるようサポートすること」と大きく頷く。「マネージメント業務をしていて良かったと実感できるときは、選手が自己ベストを出したとき」と笑顔で語る。当面の目標は「まずは箱根駅伝予選会を突破。そして本戦で戦いシード権を獲ること、それまで業務に奔走したい。10月17日の予選会突破やシード権獲得の結果はどうあれ選手ともども本当に続けてきて良かったと実感し喜びが湧いてくるように、日々悔いのない準備をして挑みたい」と前を見据える。
▶︎飯島理彰監督は「拠点となる車山ハイランドホテルは標高約1,600mの車山高原にある。練習場所は標高1,400m白樺湖の湖畔を一周する約3.8kmのゴムチップのランニングロード。そして標高約1,600mの霧ヶ峰にある3kmと4kmのクロスカントリーコースと土の400mトラックの霧ヶ峰陸上競技場。この地は1964年の東京オリンピック銅メダルの円谷幸吉選手や、1968年メキシコシティーオリンピック銀メダルの君原健二選手らがトレーニングにいそしんだ地でもあり、高地トレーニングには最適な場所」と説明。それらの地で「第1次合宿7月31日から8月6日までは確り走り込みをして距離に耐えられる土台づくりを行った。第2次合宿8月15日から8月23日まで、明日30キロ走があるが、ロード中心で中速で長い距離を走ることやペースに耐えられる脚づくりを行った」と振り返る。「ここ車山は1985年の駅伝部創部から山梨学院大学駅伝の歴史を支える聖地といえる」と語る。「明日、白樺湖で30キロ走を行い第2次合宿を終了する。ここまでチームはスローガン『All For Win 魅せろ 紺青』を掲げて、箱根予選会に向けて例年にない順調な仕上がりを見せている」と笑顔で述べた。
 
文(H.K) 、カメラ(平川大雪) 2020.8.25