●男子第71回 全国高等学校駅伝競走大会
~山梨県代表10年連続20回目出場の山梨学院~
~都大路全員粘りの走りで47位のちに46位に~
男子高校日本一を決める男子第71回 全国高等学校駅伝競走大会が12月20日、たけびしスタジアム京都(西京極陸上競技場)を発着とする7区間42.195kmで47校が参加して行われた。山梨県代表10年連続20回目出場の山梨学院高校は2時間12分44秒で46位となった。山学は第1区の小松田有将(3年)がたけびしスタジアム京都から烏丸鞍馬口までの10kmを区間31分43秒(43位)の走りでチーム43位(31分43秒)。2区の望月瑠希哉(1年)が烏丸鞍馬口から丸太町河原町までの3kmを区間8分37秒(34位)の走りでチーム43位(40分20秒)。第3区の和田瑛登(1年)が丸太町河原町から国際会館前までの8.1075kmを区間25分58秒(44位)の走りでチーム43位(1時間06分18秒)。第4区の橘田翔(3年)が国際会館前から丸太町寺町までの8.0875kmを区間25分16秒(46位)の走りでチーム46位(1時間31分34秒)。第5区の檜垣隆斗(1年)が丸太町寺町から烏丸紫明までの3kmを区間9分35秒(45位)の走りでチーム47位(1時間41分09秒)。第6区の篠原一希(1年)が烏丸紫明から西大路下立売までの5kmを区間15分29秒(41位)の走りでチーム46位(1時間56分38秒)。第7区の河野大海(1年)が西大路下立売からたけびしスタジアム京都までの5kmを区間16分06秒(47位)の走りでチーム47位(2時間12分44秒)としてフィニッシュした。のちに「43番目でフィニッシュした高知中央(高知)が、3区の選手が45番目で来たチームメートからたすきを受ける際、足が中継線から2区側に出ていた」という。たすきの受け渡しで違反があったため失格となり山梨学院は46位となった。訂正後の順位は1区43位(区間43位)、2区43位(区間34位)、3区43位(区間43位)、4区45位(区間46位)、5区46位(区間45位)、6区45位(区間41位)、7区46位(区間47位)、なお、世羅(広島)が2時間01分31秒で10回目の優秀を果たし男女同時優勝とした。
【試合前インタビュー等】
▶︎箱崎孝久駅伝部男子監督は10月31日全国高校駅伝予選山梨県大会で「1区の44秒差は誤算。その影響で3・4区がオーバーペースで大差となったが、良く5区・6区が詰めて、7区は相手に並び駆け引きで一気にスパートし相手の戦力を削いだ勝利。駅伝ならではのチームプレーで勝利したが、都大路に向けて立て直したい」と結んだ。山梨学院は2区・5区・6区・7区で1位区間賞を獲得した。また、「都大路は1年生中心のチームなので次につながるレースに心掛けたい」と述べた。
▶︎主将 橘田翔(3年)は12月16日の壮行会で「今年のチームは1年生が多く、みんなで助け合い、声を掛け合いチーム一丸となって頑張ってきた。全国高校駅伝では自分たちの力を出し切ることを目標に頑張ってくる」と決意表明した。
【男子71回全国校駅伝大会】
男子日本一を決める男子第71回 全国高等学校駅伝競走大会が12月20日、たけびしスタジアム京都(西京極陸上競技場)を発着とする7区間42.195kmで都道府県予選会の優勝校47校が参加して行われた。大会は新型コロナウイルスの影響で無観客となった。山梨学院は箱崎孝久監督が10月31日に西湖畔周で行われた全国高校駅伝予選会で「10秒差でたすきを受けたアンカー7区 小松田は、相手に並び駆け引きで一気にスパートし相手の戦力を削ぎ勝利を呼び込んだ」と称えた。その小松田をこのエースが集まる1区で起用。正午現在の天気 曇り・気温 9.0度・湿度 62%・風向 北西・風速 0.7m/s。コロナ禍で密を回避するためにイン37チーム、アウト10チームでスタートする。山梨県代表10年連続20回目出場の山梨学院はイン2列目。12時30分号砲とともに一斉スタートする。
◉第1区[10km]小松田有将(3年)
1区 小松田がインの2列目真ん中のスタートラインに立った。「1区は全国のエースが走る区間。喜びと緊張でいっぱい」と大きく深呼吸。「エース区間、厳しい戦いになる」と気合を入れる。「エースが集まる区間、周りのペースに合わせたら当然オーバーペースになる。冷静に周りを見ていこう」と自分に言い聞かせる。号砲が鳴り響きスタート。「接触に注意しながら集団の流れに乗る」と、たけびしスタジアム京都を出て右折して五条通へ。小松田が1kmで時計を見ると「2分50秒、設定より5秒速く入ってしまったが、このまま集団の流れで走ろう」と、左折して西大路通へ、「上りに入ったところで苦しくなった」とオーバーペイスがたたる。「ここで何人か集団からこぼれだし、自分も一緒に集団からこぼれ、縦列の帯状になったが懸命に走る」。上り坂の3km、「8分42秒の自己ベストの記録で通過する。体がきつくなった。ここで頑張らなくては『チームに流れをつくれない』」と自問自答し粘走。1区中間地点「5kmを通過し、右に緩やかに曲がり「集団とは大きく引き離されたがあきらめずに前を追う」。金閣寺付近を通過すると「上りがきつくなり3分20秒を超える粘りの走り」、右に曲がり北大路通へ、「ラスト2kmの下りで前の選手を目標」に必死で走る。直角に右に折れて堀川通へ、「残り1kmで監督が『もう1キロを切っているぞ』」と監督の檄が飛ぶ「これで勢いづきペースが上がる」。しばらくして直角に左に折れて紫明通へ、直角に右に折れて烏丸通へ出て、小松田がたけびしスタジアム京都から烏丸鞍馬口中継所までの10kmを粘走で区間31分43秒(43位)、チーム43位として、第2区 望月瑠希哉(1年)に「きつかったが勇気づけるために笑顔で」たすきを手渡した。
◉第2区[3km]望月瑠希哉(1年)
2区 望月瑠希哉(1年)が「中学1年生から都大路を走りたい」という思いが叶い胸を躍らせて、小松田有将(3年)を烏丸鞍馬口中継所で待つ。小松田が現れると望月は「たすきをもらうのに集中する」。たすきを受け取ると「下りは得意としている」と憧れの夢舞台に一目散で駆け出し最初からリズムに乗る。「前をいく50m先の選手だけを見て」烏丸通を快適に走る。「1人でも多く抜いて、チームに貢献したい」と集中して走る。猛追して「1km手前で追いつく」と並走する。1km「時計を押さなかったことに気づく。たすきの受け渡しに集中して押すのを忘れた。自分の体調に合わせて走ろう」と快調に走る。丸通、2区中間地点、残り1kmを超えると「脚がきつくなってきた」が「他の選手と並走して」走る。左折して丸太町通へ出て「相手と競り合う。自分が全力で頑張っている姿を見せて、次のランナーに勢いを与えたい」と相手選手と最後まで競り合う。望月が丸太町河原町中継所から烏丸鞍馬口までの3kmを区間8分37秒(34位)、チーム43位として、第3区 和田瑛登(1年)に「相手選手と同着ぐらいで」たすきを手渡し、「肩をトントンと叩いて」送り出した。望月が「8分30秒、区間20位を目指していたが、秒数で7秒、順位で14位及ばなかった。練習を積んで再び憧れの地に強くなって戻ってきたい」と誓った。
◉第3区[8.1075km]和田瑛登(1年)
和田瑛登(1年)が「望月瑠希哉(1年)が最後まで頑張って走ってきたので『それに負けないように最後まで全力の走りをしょう』」と丸太町通を緩やかな下りを走る。「望月と競ってきた選手の学校について走る」。「全国大会山梨県予選と関東大会でオーバーペイスになったことを反省して、今回は1km3分5秒に抑えて入ると決めていた。ほぼ予定通りで1km通過」し並走する。2km過ぎに「並走していた選手を抜き去り走る」快調に走る。その後「2人の留学生に抜かれる。走る速度が明らかに自分とは違う、ここで留学生についていったら1キロは持たないでペースダウンしてしまう」と自重して走る。3kmに「後から選手がきて並走」、4km左折白川通、左右へ緩やかに曲がり、急な坂を上がる、急な左へのカーブを手前に「残り1キロ『ここだ』と仕掛けて前出る」、左に曲り宝池通へ跨線橋を渡り、左に折れ、コースを折り返す。「ゴール寸前で抜き返された」。和田が丸太町河原町中継所から国際会館前中継所までの8.1075kmを区間25分58秒(44位)、チーム43位として第4区 橘田翔(3年)にたすきを手渡した。和田が「小学校の頃から陸上を初めて、都大路は憧れの舞台だった。初めて走れて喜びが湧いたが、走り終わって全国の厚い壁に跳ね返され、自分の力不足を痛感した。力をつけたい」と大きく頷いた。
◉第4区[8.0875km]橘田翔(3年)
橘田翔(3年)が「自分が少しでも順位を上げよう」と全体ほぼ下りのコースを他校の選手と走り出す。「『相手に負けない』と前に出て走る」。主将 橘田は軽快に右折して宝池通を走る。左折し白川通へ「1kmから体が思うように動かない」と不安が頭をよぎる。それをよそに「相手はペースを徐々に上げて走る」。そして「1.5キロで相手が前に出る」。主将 橘田は「悔しさと前の選手を抜かないといけないという焦り」が錯綜する。一生懸命に追随して走るが「同時スタートの選手が2km手前で前に出で離された」。これで主将 橘田は「同時に身体的にも精神的にもダメージを受け走りが厳しくなる」。3kmを「主将として『チームのために』ときつい中で走る」。「このペースのままでは最後まで持たない」と中間地点の「4キロからペースをダウン」させて走る。右折して今出川通へ「体がきつい、ここからたすきをつなぐことだけを考えて走る」。直角に左折する東大路通に入り「少し回復をして余裕が出てきた。ペースを下げたことで体が回復してきた」。ここから「もう一度ペースを上げて1km走るが」、直角に右折して丸太町通へと入り難所を走り抜けた残り1kmで「体が思うように動かない。それでも最後の力を振り絞り『笑顔でたすきを渡そう』」と走る。主将 橘田が国際会館前中継所から丸太町寺町中継所までの8.0875kmを区間25分16秒(46位)、チーム46位として、第5区 檜垣隆斗(1年)に「笑顔で渡すことができずに、心の中で『申し訳ない、頑張ってくれ』」とたすきを手渡した。
◉第5区[3km]檜垣隆斗(1年)
丸太町寺町中継所で檜垣隆斗(1年)が「とても信用している先輩からのたすきリレーだったので、順位を上げてきてくれると確信して待っていたが、情報で45位と知りすごく焦りを感じた」と不安な気持ちが襲う。「チームは30番台を目標としている。自分が順位を一つでも挽回してお世話になっている先輩に恩返しをしたい」とすぐ気持ちを切り替えた。主将 橘田翔(3年)からたすきを受け取ると「前を走る選手を標的にフラット」な丸太町通を力走。「前を走る選手との差が縮まってくる。『これはいける』」と追走する。そして直角に右折して烏丸通へ、右に曲がるカーブを「ロスタイムにならないようにコース取りして」軽快に走る。そこから急な上りが続く。「1kmを2分55秒で入る予定だったが2分48秒で走っている。チームは30番台を目標にしているので、意識し過ぎて力みがでてオーバーペースになってしまった」と振り返るが、「もう一つ個人目標は『絶対1人抜く』としていた。前の選手との差が相当縮まっている。このチャンスを逃したら目標が達成できない。これで押すしかない」と自分の背中を自分で押した。「なだらかな上りのコース」をひたすら走る。走るのが「きつくなってきたがあきらめず」に粘走する。中間地点2.5kmを通り過ぎて「さらにペースが落ちる」。一生懸命走るが「47位の選手に追いつかれ」並走する。檜垣が丸太町寺町中継所から烏丸紫明中継所までの「3kmを設定タイム8分50秒には遥かに及ばない」区間9分35秒(45位)、チーム47位として、第6区 篠原一希(1年)にたすきを手渡した。
◉第6区[5km]篠原一希(1年)
篠原一希(1年)が烏丸紫明中継所で、檜垣隆斗(1年)からたすきを47位で受け取り、チーム目標が30番台だったので『自分が一つでも順位を上げる』と心に誓い」たすきを受け取り、烏丸通を走る。「ほぼ同着でたすきを受け取った選手を引き離す」と、「先にいる選手を目標に走る」。「中間地点の3kmぐらいまでは急な上り、そこまで力をセーブして走ろう」と好走する。篠原は軽快に走り左に折れ紫明通に、そして右に曲がり堀川通へ「セーブして1km2分55秒で入る予定が、前の選手を追い上げ5秒速く入った」。篠原は左に曲がり北大路通へ入り「前の選手たちを『一つでも順位を上に』と追い上げる」。急な上りが続く、「2km、3分12秒と想定より約15秒遅い、走りがきつくなっているが前を追い上げる」中間地点を過ぎ、「さらに上がる坂を走る」。左に曲がり西大路通へ急な下り金閣寺付近を走行する。「足の疲れで3kmを3分17秒掛かっている。ロスタイム18秒」。下りは「2分55秒で押したかったが3分6秒ペース」、「前半でセーブして、この下りで少し余裕を持って走りたかった」と悔やむ。「上りで前の選手たちとの距離を縮めたが下りで逆に離される」展開で目論見とは裏腹の走り。「残り1km、きついがそれでもがむしゃらに走る」。この1kmは「あまり覚えていない」と全力を出し切り篠原が烏丸紫明中継所から西大路下立売中継所までの5kmを区間15分29秒(41位)チーム46位として、アンカー第7区 河野大海(1年)にたすきを手渡した。
◉第7区[5km]河野大海(1年)
西大路下立売中継所からアンカー第7区 河野大海(1年)が「前との差6秒を追って」西大路通の200m急な下り、さらに100m急な上りを走る。そこからなだらかな下り「前をいく選手に、追いつき並走」する。「1km2分38で設定2分50秒より速く入った」とハイペースで飛ばす。「平坦な2km過ぎに2分50秒と自己のペース」で走行。「並走していた選手が前に出て距離が離れる」。しばらくして「裏から選手が来て並走」。「『負けない』と頑張るが、急に腰の古傷が痛みだした」。違和感を覚えたが「こらえて並走、2.5kmの中間地点を通過」する。「粘りの走りで頑張るが腰痛で走る速度が落ちてきた」と歯を食いしばる。「走る速度が落ち、並走していた選手が前に出て抜かされた。『腰の痛みに堪えて、たすきをゴールに運ぶ』」と走る。そして「右側に緩やかなカーブをロスタイムしないように、速度を落とさずに内側に沿って走行」する。平坦な5条通へ、「あと残り1km」淡々と走る。「競技場に入ると気持ちが高まり、ゴールを目指し前へ、前へ」と進む。河野がたけびしスタジアム京都までの5kmを区間16分06秒(47位)の昨年の44位を下回る47位(2時間12分44秒)でフィニッシュした。
■のちに「43番目でフィニッシュした高知中央(高知)が、3区の選手が45番目で来たチームメートからたすきを受ける際、足が中継線から2区側に出ていた」という。たすきの受け渡しで違反があったため失格となり山梨学院は46位となった。訂正後の順位は1区43位(区間43位)、2区43位(区間34位)、3区43位(区間43位)、4区45位(区間46位)、5区46位(区間45位)、6区45位(区間41位)、7区46位(区間47位)となった。なお、世羅(広島)が2時間01分31秒で10回目の優秀を果たし男女同時優勝とした。
【試合終了後電話インタビュー】
▶︎第4区を走った主将 橘田翔(3年)は「『今回の駅伝は厳しい』と言われている中で、自分たちはあきらめずに上を目指して最後まで練習に取り組んだが、結果47番という形で終わってしまった。キャプテンとして申し訳ないと思う」と語気を弱め。しばらくして「お世話になった関係者やいろいろ支えてくれた方々に感謝したい」と語気を強めた。「来年は一年生が多いので、後輩には上を目指して戦ってもらいたい」と述べた。
▶︎箱崎孝久駅伝部男子監督は「1区はエース区間、早いレースの流れに食らいつき粘った走りをしてくれた。2区は1年生でラストまで気を抜かずに力を出し切り良く頑張った。3区は比較的留学生が走る区間で、後ろから留学生2人に抜かれたが1年生としては良く粘った。チームで1番良いタイムを持っているが、4区でエースとしての力を発揮できずに区間46番だった。あとは経験のない1年生ランナーたちだったので順位を上げることができなかった。今年は7人中5人が1年生のチームだった。来年は、この経験を生かして来春の新1年生も加えて、一つでも上を目指せるチームづくりに心掛けたい」と結んだ。
文(H.K) 、カメラ(平川大雪・写真提供:男子駅伝) 2020.12.24