山梨学院広報課

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●齋藤京香 デフリンピック競泳優勝 青山学長に報告
~聴覚障害者五輪2度目の挑戦で金メダル~
~青山学長、3年後のデフリンピックにエール~

5月にブラジルで行われた第24回夏季デフリンピック競泳女子100mバタフライで優勝した山梨学院大スポーツ科学部4年齋藤京香選手が6月3日、青山貴子学長に優勝報告した。デフリンオリンピックは聴覚障害者のためのオリンピック。齋藤さんは高校2年の時に出場して以来、2度目のデフリンピックで初めてのメダルを獲得した。正午過ぎ、山梨学院大スポーツ科学部教授・神田忠彦水泳部監督、カレッジスポーツセンター幸野邦男副センター長と共に青山学長の研究室を訪れた。青山学長は笑顔で齋藤選手らを部屋に招き入れ、緊張気味の齋藤選手を和やかな雰囲気で包んだ。冒頭、金メダルを手に取った青山学長は「私、金メダルに触れるのは初めて、重たーい。すごくきれい」と人柄そのままの感嘆の声を挙げた。青山学長は、水泳を始めた時期やきっかけ、神田監督との出会い、これまでろう者としてどのような練習をしてきたのか。今後の目標など矢継ぎ早にメダリストに質問をぶつけ、それに対して齋藤選手は丁寧に答えていた。他にも神田監督や幸野副センター長などに選手としての齋藤選手やデフオリンピックのことなどに話が及び、話題に事欠かない歓談となった。4人での記念撮影後、青山学長は「今後もずっと応援していますので次のデフリンピック頑張ってください」と声を掛け見送った。

■デフリンピックとはー
デフ+オリンピックのこと。デフとは英語で『耳が聞こえない』という意味で、デフリンオリンピックは耳の聞こえないアスリートのためのオリンピックのこと。オリンピックと同じように4年に1度、夏季、冬季大会が開かれる。ルールはオリンピックとほぼ同じだが、耳の聞こえない人のために様々な工夫がされている。初めて開かれたのは1924年のフランスの夏季大会。100年を超える歴史があるが日本での開催はない。デフリンオリンピックのルールはオリンピックとほぼ同じ。デフリンオリンピックでは『耳』が聞こえなくても参加者が不利にならないように『目』で分かるような様々な工夫がされている。出場するためには補聴器など何もつけずに普通の声での会話が聞こえないレベル。日本では「全日本ろうあ連盟」、各国では「ろう者スポーツ協会」に登録されている大会で記録や順位など出場条件を満たしている選手と定められている。会場に入ったら、選手たちは試合の時も練習の時も、補聴器などサポート器具を身につけることはできない。選手同士が耳の聞こえない立場で公平にプレーするための2つの条件が必要となる。(全日本ろうあ連盟)

■第24回夏季デフリンピック大会競泳 齋藤京香金メダルに輝くー
第24回夏季デフリンピック大会が5月1日~15日ブラジル・カシアス・ド・スルで開催された。日本選手団は20競技中11競技に出場。コロナ禍における多くの制限の中でも金12,銀8,銅10の計30個の過去最高のメダル数を獲得した。
競泳競技は5月2日から9日までの8日間行われた。齋藤京香選手は2日に出場した200m個人メドレーで6位入賞。「ベストとは程遠いタイムで終わってしまって、ちょっと落ち込んだ部分はあるんですけど、次の日に100mバタフライがありまだ競技は続くのですぐ気持ちを切り替えて200mを見直し、100mのレース前の過ごし方などを改善してレースに臨むことができました」。その結果、3日、100mバタフライで優勝を飾り、初のメダルに輝いた。「ゴールするまで順位は分からなかったんですけど、タッチして電光掲示板を見て1位の数字を見て二度見してガッツポーズしました。夢のようでした」と振り返った。
5月2日、200m個人メドレー決勝。6位入賞。
5月3日、100mバタフライ予選1位、決勝1位優勝。
5月5日、200mバタフライ失格、予選敗退。
5月6日、4X100mフリーリレー(混合)棄権 
5月9日、50mバタフライ棄権 4X100mメドレーリレー(混合)棄権 以上6種目
※棄権は日本選手団のコロナ感染陽性反応が出たため。

■齋藤京香のプロフィール
齋藤京香(山梨学院大学スポーツ科学部4年 21歳) 弟1人、妹4人の長女。山形県出身、山形・酒田光陵高 一般社団法人山形県聴覚障碍者協会に所属。
齋藤選手は3歳の時、先天性の難聴が判明、母親の勧めで小学1年生から水泳を始めた。「小さい頃から体を動かすことが好きで私がプールで遊んでいるところを母親が見てすごく楽しそうだなと思って、自分の命を守る手段というか術にもなるという理由で水泳を習い始めました」。中学2年の時にろう者の水泳協会から世界大会とアジア大会の標準記録を突破しているとの連絡がきて、初めてデフリンピックを意識するようになった。そして中学3年の時に初めて出場した世界大会で出場した全種目に入賞、めきめき力をつけた。デフリンピックには高校2年時、トルコ大会に出場し入賞は果たすもメダルには届かなかった。それから次のデフリンピックを目指すため、ふるさと酒田市を離れ山梨学院大に進学。大学での厳しくつらい練習を仲間たちと支え合い、2017年以来、2度目のデフリンピックの出場権を獲得した。しかし、「コロナの影響もあり練習が思うようにできなかったり、デフリンピック自体も何回か延期してしまい、もしかしたら中止になってしまうのではないかと聞いて不安で頑張るには時々心が折れてしまったこともあったんですけど、そこを踏ん張って最後まで頑張ってきました」と笑顔の中にも苦労を滲ませた。

■苦労の中、努力で勝ち取ったメダルを手に青山学長に優勝報告―
6月3日、青山貴子学長の研究室に齋藤京香選手が金メダルを手に優勝報告に訪れた。緊張気味の齋藤選手は青山学長の笑顔に出迎えられ、笑顔で挨拶を返した。歓談は初めに金メダルを青山学長に手渡し感触を確かめてもらった。場はすぐに打ち解けて和やかな雰囲気となり、同席した神田忠彦水泳部監督カレッジスポーツセンター幸野邦男副センター長も含め話が盛り上がった。青山学長は、水泳を始めたきっかけ。これまでどのような練習をしてきたのか。山梨学院に進学した理由。厳しい山梨学院水泳部の練習について。聴覚障害者の練習方法。水泳部の練習システム、デフリンピックのこと。監督が見た齋藤選手のこと。今後の目標など興味が尽きない質問を3人に投げかけ、歓談は和やかに進行した。その中で青山学長は「私は水泳に個人競技のイメージがあり、どちらかというと内省とかストイックさのイメージだったですけど」。『練習中は一人で黙々とやるよりも周りとコミュニケーションをとりながら楽しく練習した方が好き』と齋藤さんが言った言葉は、あまり壁をつくらず仲良くやることで上や下を意識せずに水泳に集中できることを水泳の能力と同じくらいコミュニケーション能力を持っている気がします」と青山学長は齋藤さんについて話した。

また、今後の目標について齋藤選手は3年後の次のデフリンピックには「メダル獲得を目標に、失格(200mバタフライ泳法違反)になってしまった悔しさもあるのでそのリベンジも一緒にしたいです。来年に世界ろう者水泳選手権大会があるのでそこに向けてまた、国内の大会で選考が懸かったりもするのでまだ今年度だけでも5個以上の試合もあるので一つひとつの試合を大事にして、タイムを残すことを意識して練習していきたい」と意気込む。
最後に無音の世界を聞いた。「小学校1年生の時から水泳するときはそういう環境でやってきているのであまりマイナスには捉えていなくて、むしろ音が入ってこないので周りの人よりは集中できるかなとプラスに捉えています」とあくまで勝負にこだわる。

また、齋藤選手が3月に学生アスリートの1年間の活躍を称えるUNIVAS AWARD2021-2022パラアスリート・オブ・ザ・イヤーの優秀賞に輝いたことをここに記する。

文(K.F) カメラ(平川大雪) 2022.6.3