●関東地区大学野球 山学準決勝で日体大に敗れる
~決勝進出ならず、明治神宮大会へあと一歩足らず~
~山学のお株を奪う足攻と小刻みな投手継投を攻略できず~
「第19回関東地区大学野球選手権大会」が3日目を迎え11月8日、準決勝2試合が横浜スタジアムで行われた。関東5地区10校が『明治神宮野球大会』出場権を与えられる2校を目指して熱戦が繰り広げられてきた。山梨学院大はここまで1回戦の横浜商科大、2回戦に創価大を破り3回目の出場で初めて準決勝に進んだ。この日の2試合目に首都大学野球連盟第1位の日本体育大と対戦した。後攻の山学大は、先発にこの大会初めて佐藤裕士を先発に立てた。佐藤は1回表、立ち上がりこそ走者を三塁に進められるも、5回まで2安打無得点と好投した。打線は初回から足で勝負を仕掛けるが、2つの盗塁死で好機を生み出せず、さらに4回にも先頭打者を出すが、次打者がフルカウントから三振と盗塁死が重なりWプレー。その直後に二塁打が出るなど好機がつながらず、流れを引寄せることができなかった。山学大は6回から佐藤を代えて西野知輝を投入するが日体大は西野に対し、先頭打者が四球で出塁すると、足で揺さぶった。次打者が二盗、三盗を決め、それに加え、味方の失策が絡み無安打で1点を先制すると、なおも長打で1点を加えた。西野はその後も無死満塁にされると、ベンチは中込陽翔に継投。中込はこのピンチの場面でも粘り強く、最少失点で食い止めた。しかし、山学大打線は相手投手に反撃の糸口が見つけられぬまま、完璧に封じ込められ0-2の完封負けを喫した。初の神宮大会出場は逸したが、ベスト4という大きな経験を手にした。
山梨学院大学野球部は、「関東地区大学野球選手権大会」が創設された2005年にカレッジスポーツセンター強化育成クラブに指定され、関甲新大学野球連盟に所属する。これまで(2023年10月現在)春・秋の1部リーグ戦で2014年に春季リーグ初優勝を飾り(全日本大学野球選手権大会にも初出場)、準優勝は6回を数える。秋に行われるこの大会に過去、2011年第7回大会、2012年第8回大会に出場、いずれも2回戦で敗退している。以来、今回11年ぶりとなる3回目の出場を果たし、1回戦に横浜商科大、2回戦を創価大に勝利し、初の3回戦準決勝に進出した。
■1回戦、2回戦の勢いに乗って日体大に挑むー
11月8日、横浜スタジアムの空は、雲一つなく真っ青に晴れ上がり、11月とは思えない日差しがグラウンドを照らした。山梨学院大はこの日の2試合目、首都大学野球連盟第1位の日本体育大と対戦した。日体大はこの大会で今回7回目の出場で1回の優勝を挙げ、今大会、来年のドラフト候補と言われる2人の投手を擁し、投打のバランスが優れ戦力が充実。山学大の3回戦は手強い相手との対戦となった。
❖先攻は日体大、午後2時過ぎ、ほぼ予定通りに試合は始まった。山学大は、先発にこの大会初めて山学高出身の佐藤裕士(4年)が先発マウンドに上がった。佐藤は1回表、2番打者の安打と盗塁で一死二塁と得点圏に走者を進められたが、後続を内野ゴロに打ち取りまずまずの立ち上がりでスタートした。その裏、山学大の攻撃はこの大会初めて、宮崎一樹(4年)を1番に起用。それに応えて右前打で出塁、すかさず次打者・乙黒颯斗(1年)の初球に走るも盗塁死、その乙黒も四球で出塁、同じく盗塁死で山学大の足を絡める攻撃は思惑が外れた。
3回表、日体大の攻撃。先頭打者の安打と犠打、四球と続き、佐藤は一死二塁・一塁のピンチを迎えたが、次打者をWプレーで抑えた。4回裏、山学大は2番乙黒が右前打で出塁すると、3番小貝優斗(3年)はフルカウントから空振り三振、投球と同時に二盗した乙黒も3つ目の盗塁死を喫し、Wプレーという形で二死となった。次打者の野村康太(4年)が左中間二塁打を打つも、惜しくも先制の好機を逃がした。日体大はここまで3人の投手で継投して来たが、5回裏に来年のドラフト候補が4人目として登板、山学大打線を抑えに掛かった。
❖6回表、山学大も5回まで2安打と好投してきた佐藤に代えて左腕の西野知輝(4年)投入。しかし、西野は先頭1番打者を四球で歩かせると、2番打者の初球に二盗、さらに三盗を決められた。山学大が当初、やろうとしたことを日体大に先を越された展開になった。そしてこの打者の二ゴロが悪送球の失策となり、無安打で1点を献上してしまった。なおも次打者の初球に二盗を決められ、西野はこの打者にも左翼フェンス上段に達する二塁打で1点を加えられ0-2とリードを許した。続く2打者にも不運な安打を打たれ無死満塁。たまらず連投の中込陽翔(4年)をマウンドに送り、中込は踏ん張り後続を3人できっちり抑え最少失点で味方の反撃を待った。8回表には、中込は先頭打者に右翼フェンス直撃の二塁打と犠飛で一死三塁のピンチに立ち、山学高同期の相澤利俊主将を打席に迎えた。同期同士の戦いの見せ場は、相澤の初球スクイズを山学大バッテリーが外して走者を消すと、中込は真っ向勝負で相澤を仕留めた。日体大は7回表からもう一人のドラフト候補を継投に送り、山学大打線も8回に走者を三塁まで進めたが、あと1本が出ず0-2で惜敗。最後まで決勝進出を諦めずに明治神宮大会出場を目指したが、達成できずに秋季シーズンの戦いを終えた。
■準決勝戦=山梨学院大学VS日本体育大学 11月8日 横浜スタジアム
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 合計 | |
日本体育大 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 |
山梨学院大 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
■山梨学院大先発メンバー 〇は学年
1.(中)宮崎一樹④、2,(二)乙黒颯斗①、3,(左)小貝優光③、4.(三)野村康太④、5.(一)山元丈輝②、6.(DH)岸本捷汰④、7.(右)海辺 眺④、8.(捕)岩﨑 瞭③、9.(遊)安川快飛④、(P)佐藤裕士④
■山梨学院大バッテリー=佐藤裕士⇒西野知輝⇒中込陽翔 ー[捕手]岩崎
[投手]佐藤:5回 打者18 投球数74 被安打2 奪三振3 与四死球2 失点0
西野:0回 打者 5 投球数26 被安打3 奪三振0 与四球1 失点2
中込:4回 打者12 投球数42 被安打1 奪三振3 与四球0 失点0
[打撃] 安打3《二塁打:野村》三振5 四球7
[交代]岩﨑(捕)⇒(H)百瀬竣都①⇒(捕)高岡宗摩③
■試合後のインタビュー
須田喜照監督は「悔しいですね。当然、日体大の投手は良いと知っていますし、研究もしていたんですけれども、継投で来て打ち崩せなかったですね」と日体大の投手力に負けた。その対応として、「足を絡めて攻めるということで宮崎を1番にしたんですけど宮崎が盗塁を成功させていれ勢いに乗れたかも」と振り返った。投手の継投については「西野は6回から行くというのは予定通りです。西野が2回、その間に勝っていれば中込という予定だったんですけど、今日の西野は自分のピッチングができなかったですけど、最後、中込が4回をきっちり抑えてくれたので、本当に3人には助けてもらったシーズンでした」と投手陣に感謝した。準決勝まで来た今大会を、「あと1回勝てば神宮だったので選手たちは本当に悔しい思いをしていますが、うちにとって11年ぶりの大会で初めて準決勝まで行ったということは良いんですけど、当然目指しているところは全国で勝つことなので、これをいい機会に冬場しっかり鍛えていきたい」と前を向いた。
◆最後の試合になった4年生はー
プロ入りを決めている宮崎一樹選手は大学での4年間を「個人的には心も身体も本当に成長できた時期でした。ただもっと長くやりたかったという思いです。高校から7年間一緒だったメンバーもいますし、寂しいという気持ちが強いです」としみじみ語った。最後の試合を戦え終えて、「自分自身は足りない部分が多いと感じた大会だったのでもう一度、始まるまでに自分自身を見つめ直して、これからが一からのスタートなので頑張ります」と気持ちを奮い立たせた。大会を通じて好投でチームを支えた中込陽翔投手は「自分で決めて山梨学院高校に入り、そのまま大学へ来て怪我もあったんですけど自分で決めたことに後悔もなく、最後にしっかりと相澤(高校の同期で日体大)と対戦できたことは少し出来過ぎではないかなと思います」と満足げに話した。「トーナメントって大学では初めてだったんですけど、試合以上に今までにないぐらいの良い経験ができたので悔いなく、大学での野球人生を終えることができたかなと思います」と大会を振り返った。また、「神宮にはマジで行きたかったんですけど、ここからチームは変わっていくので、来年の全日本と神宮で上武ではなくて山梨学院が関甲新の代表という時代が来ると信じて、後輩たちには頑張ってもらいたい」と次代に託した。4番打者として打撃でチームを牽引した野村康太選手は「最後の最後まで落ちることなく(気持ち)、山梨学院らしい野球ができ、毎試合熱い試合ができたことはとてもうれしかったです」。本塁打を含め打撃で勝利に貢献したことに、「本当にみんなに支えられ、みんなの力がなければここまでやってこれなかったので、みんなの気持ちが乗ったんだと思います」。山学大の4年間は、「野球をやっている以上は全国大会を目標にしてきたので、神宮に行けなかったことはとても悔しいですけど、山梨学院で一番の成績を残したのはうれしかったです。4年間楽しかった」と胸を張った。金城英佑主将は4年間の最後の試合に、「打てないと勝てないことを実感した試合でした。試合が始まる前から足を絡めながら攻めていこうと決めていたんですが、その内容はあのようになりましたが、僕たちなりにチャンスも作って攻める時間帯も多かったので、自分たちがやりたい試合は多少できた」と試合を振り返った。山学大での4年間は「個人では、膝の怪我で1年間出来なかった時期もあったんですけど、キャプテンを任され、副キャプテンに助けられながらこの場所に立ちました」と主将の役割を果たした。卒業後は野球から離れ、一般企業に勤めるという。
4年生にとって、学生最後の試合が終わった。それぞれの思いが交錯する4年間、そして今大会の3日間だった。チームは強豪が集まる「関東地区大学野球選手権大会」で、初のベスト4という大きな経験を手にした・・・。
須田監督は「4年生はこれで終わりですが、3年生から1年生は何を感じ取ってくれたか。こういうところに来ないと分からないという経験がたくさんあるので」と次を担う選手たちが勝つことでさらに強くなるための示唆を与え、これからの活躍に期待を膨らませる。
文(K.F) カメラ(平川大雪) 2023.11.9